中国の革命を描いた二つの映画

外国映画を見始めて、知らず知らずのうちに教えてもらっていたのが、その国の文化と歴史だろう。映画が娯楽としての超大作であろうと、作家性に富んだ芸術映画であろうと、いわゆるお国柄が出るのは当然で、その国が歩んで来た歴史がバックにあり、物語が産まれるのである。例えばJ・キャメロンの「タイタニック」(来年の3D版は相当凄いらしい)、例えばテオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」だ。

まだ、ろくに本数も見れていない映画小僧だった高校生の頃、倫社の授業で書かされた小論文(作文の域を出ませんね)は、一丁前に『映画で勉強する世界史』とかいったようなタイトルのものだった。その頃までに見ていた作品から、見ていなくても内容は分かっている作品まで、世界史で習う部分に関わる映画のタイトルを羅列しただけのもの。「天地創造」から、キリスト外伝の「ベン・ハー」、デミルの「十戒」(一生懸命全部覚えようとしたが、結局“汝、姦淫するなかれ”だけだった)、もろもろの西部劇、ノルマンディー上陸の「史上最大の作戦」、ケネディ暗殺の裏側を描いた「ダラスの熱い日」といった幼さ丸出しの文章であった。

よって社会科の授業は好きではなかったが、歴史は(今では日本史の方が圧倒的に好きですね)大好きだった。ところがアメリカとヨーロッパの一部以外の歴史となると、どうもピンとこない。特にアジア圏の国である。最近でこそ多くの韓国映画が公開され、その中の一部の時代劇で、『朝鮮王朝の時代は…』とか触れるようになったが(だからって理解したわけじゃないけど)、「シュリ」以前は「桑の葉」(知ってる人のみのタイトル)ですからねぇ。

韓国以上に分からなかったのが、中国の歴史。それも「三国志」や日本史で習う遣唐使の時代のことではなく、写真が残っている西太后あたりの清の時代あたりから、近代国家となるまでの中国がよく分からなかった。それでありながら映画にはよく登場する時代だったりした。そして今年も、そんな歴史をきちんと描いた映画が二本も登場したのである。もっと詳しく言えば歴史の中の『革命』を描いた二つの映画だ。1本は「1911」、もう1本は「サンザシの樹の下で」。

ジャッキー・チェン出演100本記念作「1911」は、100年前に起きた『辛亥革命』を描いている。アクション映画俳優として、ジャッキーを求めているファンからはソッポを向かれてしまったが、近代中国を知るには非常にタメになる映画だった。それはボンヤリとしか分からなかった革命家『孫文』という存在をはっきり知らせてくれ、ベルトルッチとの「ラスト・エンペラー」(最後の皇帝ですよね)とも継ったのだった。そして中華民国の建国という、それまでは、ずっと以前のことだと思っていたのが、いわゆる日本では明治時代となっており、日清戦争はその清との戦争であり、辛亥革命はその後という時代の順番を実感することが出来たのだった。

古代からの皇帝による君主制が終わり、共和国家中華民国となるためには、どのような戦いがあり、孫文はどんな役目を果たしたかが大変よくわかった。でもジャッキーは孫文ではなく、黄興という前線で闘う兵士のほうで、孫文は海外から革命の指揮を取り、また資金調達の側であったことも教えてくれる。中国に戻ってきた時に、孫文が命を狙われるという描写もあり、そこでまたドニー・イェンの「孫文の義士団」(すいません、これは見逃しました)とも継るのだった。

もう1本の「サンザシの樹の下で」はチャン・イーモウが描く、文化大革命に翻弄される恋人同士の物語だ。『文化大革命』、これまた中国映画を見ていると頻繁に現れる時代背景だ。1966年から10年間に及ぶ、中国国内に吹き荒れた思想的改革で、資本主義文化を批判し、社会主義思想を推進したと言えば解りやすいか?実際は毛沢東による権力闘争とのことだが、紅衛兵毛沢東思想を信奉する青年団体)による暴力的静粛(言葉では説明しにいくが、映画を見ているとよく分かる)の被害により、中国の経済的発展は大きく遅れたとされている。チェン・カイコーは、この紅衛兵に所属していたことで知られるが、その時期を映画化したのが「子供たちの王様」。

文革』を初めて意識して映画を見たのは、タイトルは忘れてしまったが、旧池袋文芸座の特集上映で見た若者の下放の物語だった。『下放』とは『文革』時代に党が推進した、国民(主に青年)を農村送り出す政策で、都会の若者も強制的に農民とさせられる。時にそれは都会の人間と、農民との人間的触れ合いのドラマを産むことにもなるのだった。「サンザシ〜」もそうして出会った男女の物語で、恋人同志が文革の壁に阻まれ結ばれない設定で、チェン・カイコーともども文革世代のチャン・イーモウならではの作品。そう、チャン・ツィイーの衝撃的デビュー作「初恋のきた道」を思わす佳作だ。

こうして中国映画を見る度に、国が歩んできた歴史が必ずどこかに見え隠れする。俗に中国三千年の歴史というが、その中で、たった40年前の不幸な出来事が、日本人には実感出来ない史実としてあることを映画は教えてくれるのだった。だから映画はタメになるんだ!やめられない訳だ!