新作「くまのプーさん」に大爆笑!

ディズニー映画のキャラクターの中で、ミッキーマウスに負けず劣らず人気があるのが、クマのプーさんだろう。しかし本来の出身がぬいぐるみであるプーさんは、どちらかというとキャラクター商品が優先となっている印象の方が強い。そんなわけで、こちらも大きな思い入れはなく(個人的にはチップとデールの方が好きかな?)、よって長編アニメとして作られた「クマのプーさん」も「〜クリストファー・ロビンをさがせ」(というか1本も)も見たことはなかった。

その映像作品としては馴染みがなかったプーさんの新作が、なんと35年ぶりに製作され『ウォルト・ディズニー生誕110年記念作品』として公開となった。CG&3Dアニメが全盛の今、穏やかな手書きアニメーション作品である。それはプーさんの絵本と、ぬいぐるみの世界を表現するのに必要なツールと言えよう。しかし、作品を観てみて、素晴らしきオールド・ファッションのスタイルは、手描きの部分だけでないことに大いに喜んでしまった。というか大爆笑してしまったのだ。

そもそもディズニーアニメの魅力は短編(カートゥーンに言いますね)にあると言われる。ミッキー・マウス初登場となる「蒸気船ウィリー」からして短編であり(長編第1作目は言わずとしれた「白雪姫」!)、多くのオスカー像を保有するディズニーであるが、その大半は短編アニメーション賞である。その短編アニメになにが必要か?それは子供を喜ばせるギャグである。アニメが動きで笑わせるものである特徴を、そのまま映画に当てはめればサイレント映画だ。サイレント時代のギャグと言えば『スラップスティック』。この「クマのプーさん」には、そのスラップスティック・ギャグが見事に描かれていたのである。

ディズニーものに限らず、往年の短編アニメを見たことがある人なら、そのアニメの世界の奇想天外なギャグの感覚は分かっていただけるだろう。「トムとジェリー」なら、ジェリーが『ペッタンコ』になってしまう例を挙げるのが一番か。WBの『ルーニー・チューン』もそうだし、最も過激な描写はテックス・エイブリーの世界にある。そのギャグセンスは近年のディズニーアニメの長編にはない。最後は「アラジン」のジーニーの描写だろうか。

ところが「クマのプーさん」には(長編なので部分的だが)そのギャグセンスがあるのだ。物語の中盤で、クリストファー・ロビンが書置きを残して居なくなり。そこには「でかける。いそがしい。すぐもどる」書いてあった。ふくろうのオウルが“スグモドル”という名の怪物にロビンが拐われたと勘違いし、森の仲間と搜索活動を行う件。日本語での“スグモドル”は、おそらく英語版では『Backsoon』なのだろう。この場面の主題歌『スグモドルの歌』が英語では『Backson Song』となっているところから、この勘違いだろうと推測出来るが、ここからの展開が最高に可笑しいのである。

歩みの鈍いイーヨーを一緒の捜索ペースに巻き込もうとするティガー、その二人が繰り広げるギャグが最高のスラップスティックコメディ&ミュージカルになっている。楽曲は『2人なら最高』というナンバーで、されるがままのイーヨーとパワフルなティガーの対比が最高に笑えたのだ(言葉では説明できませんね)。ちなみに見た時が、平日の朝一番のワーナーマイカルで、子供連れのお母さんが2組みほどの観客の中で、ゲラゲラと一人大笑いするオヤジは迷惑だったかも、とちょっと反省しました。

英語版の主題歌を歌っているのがゾーイ・ディシャネルとある。あの「500日のサマー」の女の子だ。しかし彼女が歌手だとは知らなかった。ジム・キャリーの「イエスマン」で見たとき(その前のインディペンデント映画の出演本数も凄いが、そこも知らなかった)、いい感じの若手女優が出てきたな、と思ったら2006年から歌手活動もしてると知り、ビックリだ。でもそうした英語版への興味もあるが、今回は日本語吹き替え版でよかったのではなかろうか。

『スグモドル』が謎の怪物とする訳のうまさもあるが、見事な違和感のない吹き替えで、ここ最近の洋画の3D作品の吹き替え版の出来の悪さにウンザリしていたので、なおさらディズニーの上手さに感心してしまったのだった。