「ゴッドファーザー」の事を少しだけ…

ゴッドファーザー」のことを語りたくなった。1972年の初公開の時に見た思い出なんかをすこしだけ…。その原因はWOWOWで3部作を3日間連続放映していたから。相変わらず、チラッと見るだけのつもりだったのに目が離せなくなってしまう、その魅力とはいったい何なのだろう、と考えてみた。

近年、映画が記憶に残らなくなった。消費され、忘れ去られるのである。特に2000年以降に封切られた作品などは、公開後のパッケージ発売が済めばお役御免である。そんな中、来年で公開40周年を迎える「ゴッドファーザー」は、老若男女の多くから『もっとも好きな映画です!』という声をけっこう聞く。別格として、消費されずに記憶されているのだ。まぁ、若い世代は恐らくビデオレンタルか、TV放送が初観賞でしょうね。

そんな若い世代に、いかに初公開時が大騒ぎだったかをお知らせしたい。今では、こんなオヤジでも1972年は中学3年生。忘れもしない、その夏休みの最後の日(8月31日ですね)に今は無き新宿プラザ劇場で見たのだった。まだ14歳ですよ。しかし、すでに(自分しか思ってないけど)いっぱしの映画少年を気取って、東宝を中心に日本映画を見まくっていたので、「ゴッドファーザー」に限らず、洋画全般に興味を持っていなかった。

ところが、中学生ともなるとやはりクラスの話題に敏感にならざるを得ない訳で、女子を中心に「小さな恋のメロディ」という洋画が人気となっていることを知り、いっぱしの映画少年は『これは確認しなければ』と決心するのだった。ちょうど新宿京王地下(だったっけ?今のバルト9の少し前あたり)という2番館で「フレンズ」と(甘酸っぱいですねぇ)2本立てでやっていた。そして翌週は同じ映画館で「卒業」と「わらの犬」という2本立て、と徐々に洋画志向に傾いていったのだった。

そして衝撃の8月31日がやって来た!もう面白くって、アメリカ映画って、こんなに面白いんだ!と舞い上がったのだ。翌日から2学期が始まったのに勉強どころではなくなってしまった。その「ゴッドファーザー」のお陰で、まさにそこから(日本映画は一時お休みしてもらって)洋画三昧となるのだった。模擬試験をサボって「さらば友よ」のリバイバルへ、ズル休みして(まだ土曜日が学校があった)「おませなツインキー」の初日に駆けつけたりと大忙しの日々である。

そんな影響を及ぼした「ゴッドファーザー」ではあったが、今ほど情報の伝達のない時代だったため、当初日本でも“アメリカで大ヒットしている映画、タイトルは「神父」”なんて紹介されていた。超直訳ですね。要するにまだ日本では『名付け親』という英語が浸透していなかったのですよ。

そして新宿プラザ劇場の上映方式が、ディメンション150方式という70ミリサイズのワイドスクリーンでの上映だった。しかし、後から分かった事だが「ゴッドファーザー」の画面サイズはスタンダード。それを無理やり(天地マスクして)横長の大型画面にしたのだった。よって人物の頭が相当、画面から切れてしまっていたのだ。ところが誰にもそんなことはわからないし、また気にしないのだった。なんたって作品の風格がワイドサイズを当然のものとしてしまっていたのですね。

都内のもう1館の封切り館のテアトル東京はスーパーシネラマ方式で上映されていたので、同じことになっていたの訳だが、こちらの映画館では結局見なかった。そして2回目の観賞もプラザ劇場で、見た日は翌1973年の1月15日の成人の日の祝日。なんと半年以上もロングランしていたのだった。ちなみに記憶でしかないが、当時のロードショー料金は当日500円だった。

その時代は、まだ拡大公開などは存在せず、ロードショーとは選ばれた劇場で、ヒットすればいつまでも上映するものだった。もっと以前には「ベン・ハー」や「ウエストサイド物語」などは1年以上、同じ劇場で上映し続けていたのだ。よって半年後にもう一回見たのだった。1回目には中学生のおこちゃまにはいささか分からなかった、ソニーが高速の入り口で蜂の巣にされ殺される場面で、なんで待ち伏せされたのか、などはすべて2回目で解消となる。

そう、映画は、特に「ゴッドファーザー」は『大人の映画』だった。それをティーン達は背伸びをしながら、分らないなりに映像を浴びることが大人になるための通過儀式のようなものだったのである。それは2年後に公開された「〜PARTⅡ」になると更に顕著となる。最初に見た時は難解でついて行けず、勝手にこれは失敗作だ、なんて思ってしまった。「1」はあんなに面白かったのに、なんで「Ⅱ」はつまんないのだ、と憤慨した。自分の鑑賞眼のなさを棚にあげて…。よってオスカー史上初の2作ともの作品賞受賞にも納得していなかった映画小僧だったのだ。

ところが、3〜4年後に運良く「Ⅱ」を再び見る機会が訪れたのだった(この機会がなかったらと思うとゾッとする)。そしてその衝撃たるや「1」の時以上だった。こんなにすごい映画だったのか!若き日のビトーとマイケルの時代の交差がやっと分かった。その文学的な構成の妙、1910年代のリトル・イタリーのセットの素晴らしさ、デ・ニーロという役者の凄さ、完璧だった、と共に最初に見てつまらないと思った自分を恥じた。と、同時に映画は見る本数を重ねて行くと鑑賞眼が少しは鍛えられるのだと知ったのだった。

キリがないので、最後に「1」で最も好きなシーンは?で締める。それはドン・ビトーが果物を買っているときに銃撃にあい、側にいたフレドーが何も出来ず泣き崩れる場面。マイケルと対照的なフレドーの人間的な弱さがよく出ている場面だ。更に言うと実はマイケルとフレドーの対比こそ、2作品の骨格ではなかろうか。

それにしても、それほど実績のなかったコッポラという若手を信じて監督を任せたロバート・エヴァンスの先見の明は見事なものだと、今更ながらに感心する。そう、この映画はコッポラの映画と同時にロバート・エヴァンスの映画でもあったのだ!