フィリップ・カウフマンは“正しい資質”だった!

1983年のアメリカ映画「ライトスタッフ」は日本の初公開に際しては、なんと30分以上も短縮されて上映されている。本来193分の映画なのに、160分に縮められているのだ。初公開の劇場は今はなき日比谷スカラ座(84年の秋だったろうか)。オリジナルより短いことなどあってはならないのに、現在ほど情報が瞬時に伝達される時代ではなかったので、平気で公開されていた。

当時、仕事に関係で、日比谷で輸入版のレーザーディスクを販売していたので(その頃はそんなに輸入規制はなかったのです)アメリカ公開から遅れること約1年後のこの映画の輸入版LDも当然手元にあった。日比谷のスカラ座なんて歩いて1分のところだったので、公開が始まってLDの分数のほうがずっと長いじゃないかと気づいて急いでスカラ座のタイムテーブルを確認、日本公開が短縮版だと気づいた。多分、内部の映画関係者以外では最初に発見した人間だと、今でも自惚れているのだ。

そんな不幸な目にあった(ビデオ化はすべてオリジナルになったが)「ライトスタッフ」の全長版が『午前十時からの映画祭』に登場した。ようやくスクリーンで見ることが出来たわけである。全上映作品50本のなかで、スクリーンで未見なのは、これと「ミクロの決死圏」と「ショウほど素敵な商売はない」の3本なので、この映画祭もやっと参加したことになる。

まったくフィリップ・カウフマン監督の奇跡の1本としか言いようのない見事な映画である。単に上映時間の長さだけでない、映画を見たという重量感に満ちた映画なのである。これほど見終わった後の満足度の映画もそうはないだろう。これを昔のキネ旬のように公開作品1本として数えてもいいなら絶対のBEST1だろう。

アメリカにおける宇宙開発の初期であるマーキュリー計画の全貌を、音速の壁を越えるところをスタートとし、NASAが拠点をヒューストンに移し、アポロ計画がスタートする(人間を宇宙空間へ送り出すのが、マーキュリー、月面到達がアポロ)までを描く一大アメリ叙事詩だ。

音速の壁を越えようとする名もなきテストパイロットの中のエース、チャック・イエーガーが序盤の主人公。演じるサム・シェパード。大好きなシーンはテスト飛行の前日(落馬でアバラをいためるシーン)の妻と一緒に馬で夕日の中を走る場面。良く見ればこれもまさにマジック・アワーの一瞬の光線で撮られているように見える。まったく美しい場面だ。「天国の日々」だけかと思ったら、こちらもですよね。サムにはいつもマジック・アワーが良く似合う。

要するにこの映画はアメリカが国力をつけていく過程での、役目は違うが任務に命がけで勤める男たちを描いているのだ。チャックが『宇宙飛行士という栄光』に背を向ける(本当はどうかわからない、学歴さえあれば、チャックも宇宙にいっていたかもしれない)のに対して栄光と富を死と引き換えに手にしようとする初代宇宙飛行士たちの対比である。どちらが正しい資質だったなどと誰も言えない『それぞれの選択』なのだ。

サム以外のキャストがジョン・グレン役にエド・ハリスゴードン・クーパーにデニス・クェイド、アラン・シェパードのスコット・グレン、ガス・グリソム役はフレッド・ウォードという面々に加え、ランス・ヘンリクセンジェフ・ゴールドブラム、女優陣はバーバラ・ハーシー(チャックの妻役の本当にいい女っぷり)、ヴェロニカ・カートライト、パメラ・リードという50年代の顔つきの豪華な配役。

作品の世界観を演出以上に演出してくれるのがビル・コンティ雄大なスコアだ。あまりにも有名なスコアは一時CMやドキュメンタリーの効果音に頻繁に使われていたな。見事アカデミー賞音楽賞も受賞。コンティは「ロッキー」も有名なテーマスコアだが、圧倒的にこちらが好み。オスカーは音響効果賞も獲っているが、一時ホームシアターのサラウンドチェックにはこの映画が最適と重宝されていたりした。

映画の構成は、音速の壁の後は、宇宙飛行士探し、訓練、マスコミの加熱ぶり、アランの初飛行(たった15分)、ガスのポッド回収できずの失敗、グレンの飛行延期から、危機一髪の帰還(ここが宇宙部分のクライマックス)、そして一人ジェット機での高度記録に挑戦するチャックの最後の飛行となる。チャックはジェット機成層圏を見た瞬間に操縦不能となりパラシュートで脱出。墜落の爆発の煙と陽炎の中を帰ってくるチャックを捉えたショットの名場面よ!

これのどこをカットして上映できると言うのだ!193分まったくダレることのない完璧な映画じゃなかろうか。フィリップ・カウフマンはこれと「存在の耐えられない軽さ」の2本で歴史に名を残したが、「ライトスタッフ」はトム・ウルフの原作を脚色もしていて見事な活躍というしかない。

映画は現代を描くことで成立する一方、今を描きすぎるとその後の時代で風化してしまう危険性もある。この映画や「ゴッドファーザー」が全く古びないのは過去の歴史の1ページとしての物語という側面があるのも否定できない。また2001年なんてとっくに過ぎているのに「2001年宇宙の旅」が常に今なのは未来を年数以上に遠くしたためだろう。その中間が85年の今と(当時の)30年前を描き出して、まったく今も健在な「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。

今回、実はチャック・イエーガー以上に物語の中心じゃないかと感じたのはデニス演じるゴードン・クーパー。彼の成長期としてのバックグラウンドは、まさにアメリカが成長していく過程とダブるようだ。やんちゃな若者だったゴードンが最後には英雄は自分たちだけじゃなく、このパーティ会場にはいないパイロット全員とまで言うようになる。最後の最後は「チャック〜」と言う前にたはり「目の前にいるよ」と記者にいうが。

この部分がチャック一辺倒で、栄光に背を向けるヒーローのカッコよさを描いた映画とばかり思っていたこの名作の新たなる発見であった。