生理的に許せない珍しい俳優ヴィンス・ヴォーン

リアルタイムでデビュー作から付き合っている監督には、やはりそれなりの思い入れがある。中学の時に旧新宿ピカデリーで「激突!」を見て以来スピルバーグを、シネマスクェアとうきゅうで「デュエリスト決闘者」を見てリドリー・スコットを、そして「ラブINニューヨーク」(デビュー作は「バニシングINターボ」だが)から見ているロン・ハワードだ。

ジャンルにこだわらず、面白い映画を作ってくれる信用のおける監督となったロンだが、その固定ジャンルがない分「ビューティフル・マインド」でオスカーは獲得しているものの評価は低いように感じる。90年代には「バックドラフト」「アポロ13」という大作を撮ったかと思いきや「ザ・ペーパー」という小品を作ったりした。その傾向はその後も続き、「ダ・ヴィンチ・コード」の次が「フロスト×ニクソン」、そして「天使と悪魔」の後が、最新作「僕が結婚を決めたワケ」と大作と小品が交互となる。

大半は、予算をたっぷり掛けた大作より、その次の小品のほうが好みだ。作家性とエンタテインメントの融合のバランスが良く、映画は製作費の多さでは決められないのだな、とよくわかるのだ。ところが「僕が〜」はその定義から外れ、残念な失敗作となってしまった。その責任は最終的には監督にあるのだが、実は主演俳優の魅力の無さも大きな要因だと言いたいのだ。

その俳優の名はヴィンス・ヴォーン。一般的には知られていないし、多くの作品は未公開に終わっている。未公開で気になったものだけはDVDで見るようにしているのだが、そんな1本が「ウェディング・クラッシャー」。オーウェン・ウィルソン主演のコメディで、共演(W主演に近いかな)がヴィンス。それが彼を意識して見た最初であろう。リース・ウィザースプーンなのに未公開に終わった「フォー・クリスマス」もヴィンスじゃなく、もっと知名度ある相手役だったら公開されていたかもね。

とにかく顔立ちに気品のかけらもなく、往年のハリウッドであれば、西部劇の冒頭で登場してくる暴れん坊の牧童で、ゲーリー・クーパーあたりにすぐ撃たれて死ぬ役しか回ってこない様な顔なのである。出世作と言われるガス・ヴァン・サントの冒険的失敗作「サイコ」のノーマン・ベイツをやってたそうだが、見ていないので何とも言えないが、俳優としての才能以前の問題で生理的に許せないのかもしれない。

そんなヴィンスが製作も兼ね主演したのが「僕が〜」なのだ。40過ぎの結婚に否定的なダメ男が、理想の女性とやっと出会って結婚しようと決めた矢先に、親友夫婦の浮気と秘密を見てしまったことから起きるドタバタ騒動を描いているのだが、後半のヴィンスの一人芝居の連続は、なんかロンが演出を投げ出してしまったとしか思えないぐらい酷い出来である。

良かれと思っていることが、実はおせっかい極まりないという空気の読めない男を演じさせたら右に出るものはいないだろうヴィンスであるが、それは役柄だけの世界にしてください。映画を製作する上では、それらは必要ないのですから…。

ジェニファー・コネリーウィノナ・ライダーの二人の女優の魅力でも、ヴィンスの猛毒を消すことは出来ませんでしたね。