森谷司郎監督作品「初めての旅」

1971年の1月、その頃は新宿の(今はなき)コマ東宝へ毎週のように通って東宝映画を見ていた、中学1年生のガキンチョでした。その東宝映画に求めていたものは明るく楽しい青春映画であり、映画そのものに『感動』というものなど求めてはいませんでしたね。

まさにその正月第2弾で封切られた(1月9日公開、まあ正月映画の扱いでもOKな時代)「若大将対青大将」を見たくて、いそいそとコマ東宝へ駆けつけたのであった。ところが目を奪われたのは同時上映(当時は必ず2本立て興行)の「初めての旅」という青春映画だった。

おそらく映画館で見て、感動のあまり号泣するという体験はこれが最初だったのではないか。それ以前のTVでは「我が道を往く」と「手錠のままの脱獄」の2本の洋画にやられ、一緒に見ていた家族に泣き顔を見られたくなくて自室に駆け込み布団をかぶって泣いた記憶があるが、もっと公な映画館というスペースでは、この「初めて〜」がはじめてだった。

多分、監督の名前も覚えようと思ったのもこの映画のおかげかもしれない。これほど自分を感動させた映画を作った人はなんていう人なんだろという意識が芽生えたのである。監督の名前は森谷司郎

貧しい若者と(高橋長英)、官庁の役人(今で言うキャリア組)の息子の裕福な若者(岡田裕介)の二人が神宮外苑の銀杏並木(ここが重要)に止めてあったスポーツカーを盗んで旅に出る。見ず知らずの二人に共通していたのは若者が感じる日常の窮屈や退屈、そうした息苦しさからの開放のように、ふたりは目が合った瞬間に同時に車に乗り込んでしまった。

行き先は裕福な若者の叔父がいる三島の牧場で、そこまでのロードムービーで、それぞれに語る自分たちの過去が映像で語られる(脚本、井出俊郎、原作、曽野綾子)。裕福な若者が語る1年前の夏の短い恋物語のエピソードが映画の中盤の核である。

ボーイッシュな少女(演じるは森和代)との淡い恋の瞬間を小椋桂の『6月の雨』が彩る。映画全体にも、小椋の歌が起用され他に『しおさいの詩』『さらば青春』『砂漠の少年』と合計4曲聞けるのである。当時、青春映画にはフォーク音楽が盛んに起用され、松竹の「旅の重さ」には吉田拓郎の「今日までそして明日から』、森谷監督の「放課後」は井上陽水の「夢の中へ」
といった具合だ。

この森和代は、この作品と「赤頭巾ちゃん気をつけて」の2作のみあるが当時の若者に強烈な印象を残している。ショートヘアとTシャツ姿が最も良く似合う女優だったんだなぁ。

そもそも71年に見てから、今日、阿佐ヶ谷ラピュタで見て計4回目であろう(池袋文芸地下、中野武蔵野ホール)が、自分の記憶の曖昧さにあけれ果てている部分もある。好きな場面しか記憶しようとしない頭になってしまったのか、二人が休憩するドライブインで居合わせる演歌歌手(といっても若い娘で、なんとか故郷に錦を飾るという程度)の場面、霧に囲まれた二人の前に登場する少年(あとで交通事故にあう)とのエピソードの記憶がなかったのです。

車を盗んで旅に出るファーストシーン、少女と釣りしたり、夕立にあったり、そして牧場の仕事を手伝うバックに『さらば青春』が流れる場面。そして感動の涙の警察の取り調べのラストシーンの記憶ばかりである。

なぜ、中1のガキンチョは大泣きしたのでしょうか?車泥棒として警察へ連行された二人に対し、法務省次官の息子と知った警察は裕福な西村という若者に『さん』を付けて呼び、取調べを別でしようとする場面にショックを受け、岡田裕介扮する西村青年が『なぜ、僕だけ『さん』をつける、同じことをしたのだから僕も呼び捨てにしろ!』の台詞に感動しまくったのでした。

要するに育ちで罪に問う者と問わない者を分けようとする国家権力のご都合主義に翻弄される19歳の若者に、13歳の小僧のハートは震えたというわけです。でも冷静に見て映画史に残る名作かといえば、そこまではいきません。しかし一人の映画ファンのパーソナルな名作としては永遠に語られるのであります。

日本映画専門チャンネルで放送はあったが、今だパッケージソフトになっていない東宝青春映画の中の代表作と言いましょう。