「嵐を呼ぶ楽団」はシネ・ミュージカルの傑作でした!

ひと月ほど前になるが、阿佐ヶ谷ラピュタにて井上梅次監督1960年度作品「嵐を呼ぶ楽団」を見る。ラピュタにて特集上映された『宝塚映画製作所 黄金の日々』の中の1本だ。実は作品自体は2回目の観賞である。最初は今から20年以上前に、東宝がこの映画をレーザーディスク化するということで、新たにプリントを焼いた為、どうせだったら試写で見ようとなり、一部関係者試写に潜り込んで見たのだった。

しかし、その時の印象は、実はそれほど強いこともなく、日本にもこうしたシネ・ミュージカルが存在したんだという発見の部分が大きかった。またミュージカル映画そのものに対する理解もそう深くなかったので、これが本場アメリカにも負けない素晴らしいシネ(ジャズ)・ミュージカルであることも認識できなかったのである。幼かったのですねぇ。

しかし、その後MGMに代表されるアメリカのミュージカル映画(「ウエストサイド」以前だよね)を相当数見たお陰で、いわゆるミュージカル映画の『文法』のようなものが、感覚として分かるようになったのだ。この『文法』が理解しているのと、していないのとでは、楽しめる度合いが全然違ってくるのである。最近のミュージカル映画で、この『文法』に沿って作られていたのが「プロデューサーズ」「ヘアスプレー」。

まずはオープニングのミュージカルナンバー、これが必要。何はともあれ、掴みが大切なのである。「嵐〜」では雪村いずみの歌と踊りで幕が開く。それから主人公の紹介(宝田明)と、彼の背景を描き、マドンナ役の雪村いずみと絡ませる(最初から恋愛には持っていかない)。そして彼の父親と同じような楽団を持ちたいという夢の、物語の根幹の部分を描きながら、彼の仲間になるジャズメンたちの登場と、そのキャラクターの紹介。その間にもジャズ・サウンドを散りばめるのが『文法』。

まったく見事な手際の良さでお話が進められていく。まぁ、これこそがMGMが大量生産していた、シネ・ミュージカルの基本中の基本なのだが、井上梅次監督はその基本が、当たり前のように体に染み込んでいたのだろう。監督の多くの洋画(ミュージカル映画!)体験が、そのまま投影されて作られたのだ。パロディでは、オマージュでもなく、好きだから日本の物語で『文法』通りに作ってみたというだけなのだ。それが故に傑作なのである。

楽団の隆盛と恋愛感情との板挟み、そして仲間割れとラストの和解という、王道のパターンが堂々と展開されるのだ。それだけお話を詰め込んで、108分という上映時間なのである。今ではありえませんね。物語をシンプルに語り、省略することで逆に、観客の感情移入しやすく持っていく描写の見事さに感嘆するばかりだった。

宝田明ビング・クロスビーだとしたら、高島忠夫フレッド・アステアか?そうしたキャラクターの明確さも完璧だ。他にも楽団のメンバーに江原達怡水原弘朝丘雪路と魅力的なキャストだ。そしてご機嫌なジャズサウンドと巧みな演奏シーン。どこをとっても日本映画と簡単に割り切ることのできぬ、王道の『ミュージカル映画』という位置づけの方が似合う作品だ。

劇団四季の舞台だけ見て“ミュージカルって素敵!”って騒いでるお嬢様たちにも、この映画をちゃんと見て欲しいものですねぇ。