「THE GREY凍った太陽」は予告編にヤラれました!

昔は、予告編というものを、絶対というほど見なかった。別な言い方をすれば拒否していたのである。映画はその作品の予備知識をまったく入れないで見ることで、面白さが増すと信じていた。仕方なく見る場合は、目を閉じ耳を塞ぎ、画も音も情報として入って来ないようにしていた。まぁ、現代のように情報が氾濫していなかったこともあり、予告編だけ遮断しておけば、ほぼ無知のまま映画が見られた幸福な時代でもあった。

1985年の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を幸いな事に、すごく早い時期に試写で見ることが出来、あまりの面白さに飛び上がって喜んでしまった。しかし、もしこれが事前に『30年前の過去に、デロリアンという車でタイムスリップして、自分の両親に出会う』というプロットを知っていて見たとしたら、これほど面白いと感じたか?と思うのである。

ところが、予告編を遮断することの労力を上回る情報氾濫の時代となった頃から(いつ頃かは忘れてしまいましたね)、普通に予告編を見るようになってしまい、意外なことに、その予告編で“面白そう、見てみたい!”の判断をするようになってしまったのであった。リドリー&トニー(追悼!)・スコット製作の「THE GREY凍った太陽」は、まさに予告編でそう思った作品だった。

まぁ、見事に騙されましたね。いや、それでは配給会社の人に失礼なので、別な言い方をすれば、予告編を見て予想した映画の内容とは見事に違いましたね。では、予告編を見て思った映画の内容はというと、飛行機事故に遭いながらも生き残った男たちが、極寒の地で助かるまでのサバイバル・ドラマ。要するに「アンデスの聖餐」「生きてこそ」系の映画ではないかと思ったのである。

まぁ、サバイバルはそのとおりだが、まさか、ひたすら(まじで、ひたすら!)狼の群れとの戦いとは思いませんでしたよ。確かに主演のリアム・ニーソンの役柄は、石油採掘所の狼退治専門の狩猟ハンターとういうもので、その彼が遭遇した事故現場が、狼の縄張りだったということで、攻守ところを変えたシュチエーションの意外性というものがあるだろう。だったら、何故、その部分を予告編ではまったく見せなかったのか?

原作となった短編が存在するとのことだが、それを知らないで、もし『遭難した男たちと狼との死をかけた戦い』という映画の宣伝を見たら、はたして誰が見たいと思うか?狼って、あの狼でしょ、それって映画になるの?となってしまうだろうと判断して、予告編では隠した格好になったと思うのはうがった見方でしょうか?

まぁ、どこを見せて、どこを見せないかで予告編を作るのは配給会社の手腕にかかっているのは、充分に承知していますよ。元気があった頃の東宝東和、ヘラルド映画などの日本のインディペンデントの配給会社の予告編は、毎回見事な作りでしたよね(そのあたりは見ていたなぁ)。“予告編のほうが“本編よりずっと面白い”っていうこと何回もありましたな。しかし、それも含めたのが映画の楽しみだったので文句はなかったですよ。

映画がある限り、予告編もあり続けるだろう。改めて予告編とはどういった存在であるべきか考えさせられた「THE GREY凍った太陽」であったが、それでも余りにも救いようがないラストに、やはり好きにはなれませんです。

コリン・ファレル主演の「トータル・リコール」の主役は?

余りにも、元気が良かった頃のカロルコのイメージと、アーノルド・シュワルツェネッガーの存在が大きいオリジナルがあるだけに、そんな無謀なリメイクをするのか?が正直なところだった。しかし、オリジナルの舞台だった火星を地球に置き換え、近未来は階級格差社会になっていることを明確にしたりと、変更点は悪くない。とにかく、シュワルツェネッガーを意識しないで見ることを心がけましたよ。

思い返せば、オリジナルの「トータル・リコール」を見た記憶の中で一番鮮明なのは、シュワルツェネッガーではなく、まだ当時「キング・ソロモンの秘宝」ぐらいしか出演作が公開されていなかったシャロン・ストーンの金髪ぶりである。主人公ダグラス・クエイドの妻役で、本当は妻でなく『監視役』だったと告白して、あのシュワにキックを食らわすという衝撃的シーンだった。

では、今回のリメイクではキャストがどうなっているかというと、主演はコリン・ファレルだ。誰が考えても(体格からして)小粒だが、アクションは出来るだろう。そして妻のローリー役はケイト・ベッキンセイルだ。「セレンディピティ」「パール・ハーバー」の頃(2001年あたり)は、いわゆる男優の相手役という役どころが多かったが、東洋系が入っているのか、そのエキゾチックか顔立ちは結構好きでご贔屓女優だった。

2003年の「アンダー・ワールド」から、どうしたことかアクション女優になってしまった。2006年にアダム・サンドラー主演の「もしも昨日が選べたら」という小品だけど素敵なコメディがあったが、その他は「ヴァン・ヘルシング」と「アンダー・ワールド」シリーズが主な公開作で、日本では彼女はアクション作品以外は、公開に至らず未公開女優の印象が強くなってしまった(2008年の出演作は全部公開されていない)。

もう一人のアクション女優ミラ・ジョボヴィッチが「バイオハザード」だけしか公開されていない印象と(実際は違うがヒットの度合いが違う)同じである。そうなのだ!同じなのだ!ミラが夫であるポール・アンダーソンの監督作品に出まくっているように、なんのことはないケイトも「アンダー・ワールド」で知り合い結婚した「トータル〜」の監督でもあるレン・ワイズマンの映画で出ていただけだったのだ!

すると今回は「トータル〜」はどうなったかと言うと、物語の中で妻のローリーの比重が圧倒的に多くなり、監視役から、更にダグラスを最後まで始末しようとする暗殺部隊のボスとなって大暴れするではないか!実はこの映画の『主演』はコリン・ファレルだが、『主役』はケイト・ベッキンセイルだったのだ!そう言いたいぐらい彼女の悪役としての魅力と、アクションシーンは見応え充分なのだ。当然である。監督が旦那なのだから、魅力的に撮らずしてどうするってもんでしょ!

決定的にダメなのはアクションがすべてCG加工が優先しているところだ。もう、こうした映像は見飽きている。だからこそ「エクスペンダブルズ」が再認識されるのだろう。また、同じ原作者とは言え、なにもそこまで「ブレードランナー」(原作タイトル「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」)の世界観を持ち込まなくてもいいのにと思ってしまった。雨に降られたチャイナタウン的風景は、誰もが“「ブレードランナー」みたい”って思うだろう。

いっそ、主人公を「大奥」みたいに男女逆転させ、ケイト主演のアクションとしての「トータル・リコール」にした方が成功したんじゃない?

「桐島、部活やめるってよ」の青春像に自分を見た!

1972年、中学3年の時、ミュンへン・オリンピックの日本男子バレーの金メダルに感動し、それまで部活でやっていた野球を捨て、バレーボールに熱中した。翌73年の春、高校へ入って入学式にも出ず、バレー部の入部受付を探し校内をウロウロしてたら、入学式が終わってしまったという笑い話も付いてくる。しかし、翌朝の朝練からさっそく部活に励んだ高校生活のスタートだった。

一方、映画にも夢中になっていて、夏休み40日間に、40本見られるかどうかを映画好きの友人と競い合ったりして、夏休みは午前中は部活、午後は映画という若くなけりゃ出来ないハード・スケジュールの日々であった。また、バレー部は1年からレギュラーをもらえるという、逆に言うといささか層が薄いチームであり、負けることが多かったのも事実。上級生がいなくなると、練習をサボりがちになってしまうが、試合には“出てくれないか?”と呼び出しがあったりもした。

なんで、こんな私事を書くのかと言えば「桐島、部活やめるってよ」で描かれている青春像は、まさにバレーと映画に明け暮れた自分の高校生活とかなりの部分ダブるものであり、思わず振り返ってしまったのだった。そう、この映画の中には自分がいたのである。本来、映画の見方としてまずいのかもしれないが、登場人物たちに自分を投影してしまったのだ。

映画は見る側で作りはしなかったが、神木隆之介演じる前田君の映画への熱中は『自分』(もしかしたら武文かも?)だ。試合だけでも出て、と頼まれる宏樹(東出昌大、この後に期待したい新人!)の、どっち付かずの青春像にも自分を見た!でも、一番自分に最も近い青春像は、バレー部の副キャプテンで、身長が足りないという劣等感を持つ男子の小泉風助かもしれない。そう、青春には劣等感がついてまわるのである。

桐島が部活をやめるという(彼らにとっては)事件で、今まで隠していた、隠れていた不安定な感情、不安、不満、妬みなどが噴き出してくる青春のひとコマは、やはり魅力的であり、惹きつけられるものがある。それはやはり登場人物の中に『自分』もしくは『誰か』がいるからではないだろうか?

宏樹のラストの複雑な表情への過程としては、必要だったのかもしれないが、金曜日の同じ時間軸を違う人物側から描く手法には疑問は残る。吉田大八監督作品は前作「パーマネント野ばら」しか見ていないが、多くの登場人物を必要とする映画が好きそうな監督だと感じた。

こういう若い俳優が大挙して見られる映画は本当に楽しい。神木隆之介大後寿々花の二人は、若いけどキャリア充分だが、その他の出演者はまだ未知数であるが、そこが楽しい。最も今後が楽しみなのは橋本愛だ。「告白」は、それほど印象には残らなかったが、この後も「BUNGO」の中の1篇「鮨」と「ツナグ」がある。貞子女優を早く払拭して欲しい!山本美月はモデルから女優になれるか?それは東出昌大にも言える。

ウォーターボーイズ」じゃないが、何年か後、「桐島〜」って凄いメンツが出ていた映画だったんだぁと言われるように頑張ってほしいものである。

見せ場だらけの「アベンジャーズ」なのだが…

今年のアメリカ映画の、サマーシーズンの公開作で最もヒットした「アベンジャーズ」の結果に、最もビックリしているのは、もしかしたら映画を作ったマーベル関係者その方たちじゃないの?と思ってしまうぐらいのメガヒットだったが、普通の日本人が普通に見てどうだったのか?宣伝文句どおりの上から目線が罷り通るのか?冷静に映画として見て、はたして優れていたのだろうか、を考えてみたい。

「アイアンマン」の1作目は見逃したものの、一応、「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ」も、「ハルク」の2作(でもどっちのハルクが今回のと関連しているのかの意識はまったくないです)も見てはいるが、それほど濃い思い入れはない。普通のヒーローものとして楽しんだだけである。

そのマーベルヒーローたちのオールスター集合はどういうことなのか?往年の映画俳優で言えばクラーク・ゲーブルジョン・ウェインヘンリー・フォンダジェームズ・スチュワートの豪華競演というところか?作品的に近いところは「史上最大の作戦」か?いずれにしろ、こうしたオールスターものの難しいところは、各人の見せ場が無くては不公平感が産まれるということ。

そうした部分で言えば、この監督は(ジョス・ウィードン、すいません知りません!)無難にまとめあげているが、それ以上でも、以下でもない。まさにヒーロー活躍のビデオクリップだ。よって、見せ場の連続で飽きさせはしないが、これをギュと縮めたものが予告編として、すでに目に触れている状態だ。要するに印象としては『予告編で見たとこばかり』となってしまっているのだ。

だから公開前に予告編を散々見させられた側にとっては、新しい驚きは少しもなかった。そして、どうしてこの映画がアメリカで桁外れのヒットとなったかが、理解に苦しむのである。やはり、それは宇宙からの侵略者に対して戦えるのは『アメリカのヒーローだけ』だという意識の、相変わらずの『アメリカ万歳!』の精神のなせる結果なのだろうか?

でも、まさか「マイティ・ソー」からの話を拡大させていくとは思わなかった。「マイティ〜」自体は非常に気に入っていて、神の国のやんちゃ坊主の恋と成長の物語があり、親の苦悩がありと、およそアメコミヒーローものらしからぬ部分が面白かった。しかし、これでいいのだろうか?「マイティ〜」見ていなきゃ分からんでしょ。まぁ、結局、宇宙からの侵略者を作るのにはコレしかなかったのだろうね。

単体の作品がなく、今回が初登場のホーク・アイにも、もっとカッコいい場面が最初からあるのかと思いきや、前半は洗脳されて、少しも活躍せずガッカリ!比べちゃいけないんだろうが、スカーレット・ヨハンソンのブラック・ウィドウも、アン・ハサウェイのキャット・ウーマンに比べるとねぇ…。あと、決定的にガッカリなのは、サミュエル・L・ジャクソン扮するニック・フューリーが、あれだけ各単体作品のラストで出てきてカッコよかったのに、この本番では組織の上とやり合う役目でしかなく、“ニック、あんたは室井さんか?!”と突っ込みたくなった!

やはり、あれだけ街を壊しておいて責任は誰が取るんだという、いらぬ心配をしてしまうほど、映画本編以外に意識がいってしまってはダメでしょう。続編の出来がかなり問われると思いますがねぇ。

「あなたへ」「ツナグ」「人生、いろどり」で感じた『映画は引き継がれていく!』

9月がまったく映画が見られなかった状態にあり、かなりの飢餓感に襲われた。10月に入れば少しは見られることになったので、さっそく日本映画のハシゴをする。「あなたへ」「ツナグ」「人生、いろどり」の3本を1日で見てしまう。この3本の映画は非常に重要な役目を果たしている3本だと、後から考えていささか驚いてしまった。

残念ながら名優・大滝秀治の遺作となってしまった「あなたへ」の最も重要なシーンは、亡き妻の故郷である長崎の海までたどり着いた、高倉健扮する倉島英二が妻の骨を散骨する場面だ。船の上には高倉健大滝秀治、そして三浦貴大(孫役)がいる。この時、大滝さん86歳、健さん80歳、そして貴大は26歳だ。涙が止まらなかった!映画が語っている物語に感動したのではない、こうして老名優から若い才能ある俳優へ『映画は引き継がれていくのだ』という場面に接したことに泣けたのだった!

まるで降旗康男監督が意図したとしか思えない『伝承の場面』だった。男だから特に三浦貴大に対してそう思ってしまうのだろうが、このことは綾瀬はるかにも当てはまることでもある。余貴美子や、佐藤浩市にはすでに引き継がれた感があるが、その下の世代への監督の目配せを感じたのであった。この作品の後も、健さんにはもっと映画に出ていただき、多くの若き俳優と共演していただきたい。そのことがどれだけ若き俳優の糧になるかは、渥美清という名優から教えを受けた吉岡秀隆の成長を見れば明らかであろう。

三浦貴大は多くのものを、すでに父・三浦友和から吸収していると思うが、まだ「わが母の記」を見ても、共演者である宮粼あおいとの差はあると感じてしまったので、「あなたへ」以降の出演作で、どう成長していくかが本当に楽しみになって来た。

そして「ツナグ」では、昨年のキネマ旬報新人男優賞受賞の松坂桃李へ、樹木希林八千草薫仲代達矢が相たいして(場面はそれぞれ別)、自然と引継ぎが行われていると感じたのだった。これで松坂くんが何も感じていないとしたら、今後の活躍は期待出来ませんね。「ツナグ」という映画自体は、そうした名優を配しての人間ドラマ重視の作品となっているので、死者との再会というファンタジーが入り込む余地がなくなり、いささか窮屈になってしまったのが残念。

「人生、いろどり」は徳島県上勝町を舞台にした、料理のツマに使われる葉っぱをビジネスにした実話を映画化。その町は過疎化が進み、多くの住民はすでに老齢。それを映画にするのだから出演する女優たちも(年齢は記さないが)それなりのお歳の方々だ。富司純子吉行和子中尾ミエで設定は幼なじみ。吉行和子の旦那役は藤竜也という『豪華』俳優陣だ。

そこに、平岡祐太村川絵梨という二人の若手をキャスティング。この二人が最後に結婚式を挙げる場面が美しい!「あなたへ」のような男優から男優への引継ぎではないが、この3人の女優を相手にした平岡くんはいい経験をしたと言える。これは「スイング・ガールズ」の共演とは訳が違うぞ!舞台となったこの土地は女性の方が強いのか?村川絵梨の役どころが市場の仲買人で、男勝りで魅力的だ。この女優は以前からご贔屓なもんで、もっと見たいものである。

一時期は、映画はジャニーズを中心にした若手俳優で、若者だけ集客すれば良いという傾向だったが、どうやら変わって来つつあるようだ。この3本は、そのいい例ではないだろうか。きちんとした演技が出来る、年配の俳優に映画の中心にいてもらいながら、共演の若手に伝承してゆく。そうすれば、まだまだ日本映画の質を保っていくことが出来るはずだと信じたいのである。

「メリダとおそろしの森」は日本人には向かないのだろうか?

ピクサーとしては前作「カーズ2」は大失敗の判断をしてるでしょう。それは全世界の興行成績とか言うものではなく、作品のクオリティという部分での失敗であり、最もピクサーが嫌がる部分とも言えますね。そうした安易なシリーズ物を作ってしまった反省からか、今年の新作は「メリダとおそろしの森」というオリジナル作品でした。

ところが残念ながら、日本での興行成績はまったく振るわず、ディズニー側の期待を大きく下回ったとのこと。その要因は何であろう?知名度のあるシリーズものでなかったから?「〜おそろしの森」とした邦題に、子供が怖がってしまったから?日本語吹き替え版の主役がAKB48大島優子さんだったから?それらも要因のひとつでしょうが、個人的には物語の設定が大昔のスコットランドだったことが大きかったのでは、と思っています。

この手のお伽噺は“昔々、ある所の、お姫様で…”が基本でしょう。そうした設定の曖昧な部分が必要なのに、この映画はあまりにも日本人に馴染みがない、中世スコットランドの設定と言い切ってしまっていることが、敬遠された大きな要因だと思うのです。よって、子供には無理(だって若いお母さんも知らない、興味ない!)となってはいませんか?

だとしたら、ターゲットを大人に絞ってはどうか、となりますが『ディズニー/ピクサー』という、すでにファミリー向けとして出来上がったブランドでは無理というもの。興行的結果は最初から分かっていたのですよ。しかし、作品をちゃんと見た観客からは賞賛の声があるのも確かです。そして映画的に見ても、その技術的クオリティに驚かされました!「タンタンの冒険」のキャメラワークも凄かったが、それ以上でしょう!

そもそもアニメーションに元来なかった、キャメラワークを登場させたのがディズニーの「美女と野獣」でした。2Dの手描きのアニメでは表現が出来なかった、キャメラが登場人物の向こうに回り込む手法をCGを取り入れ「美女〜」で成功させたのです。そこからアニメでも奥行のある構図が作られるようになり、「タンタン〜」で見られた登場人物にまとわりつく様なキャメラの動きに発展していったのです。

そのキャメラワークの究極の動きが「メリダ」で見られ驚かされます。ロングショットからアップまでのワンカットから、横移動から縦移動までと、様々なキャメラワークでキャラクター造形を除けば、アニメとは全く感じない映像ばかりです(実はそこに好き嫌いもあるのですが)。

しかし、技術的な面を抜きの、内容としても充分満足の出来で、ピクサー初のお姫様を楽しみました。活発なお姫様の設定は、やはりジブリの影響を感じてしまうが、実はこれ「ローマの休日」なのですよ。お城を抜け出したい王女がローマの街に抜け出すか、森に逃げ込むかの違いで、成長を遂げた王女が自覚に目覚めお城へ戻って行くのです。そう、メリダはアン王女だったのです!

基本的には字幕で見たいのですが、今回は仕方なく日本語吹き替え版でした。しかし、大島さんの吹き替えは悪くなかったですよ!

「The Ladyアウンサンスーチー ひき裂かれた愛」で見せたリュック・ベッソンの意外な一面

今の若い映画ファンはリュック・ベッソンを、どう見ているのだろうか?一時代を築いた映画監督としての認識はどれだけあるのだろうか?もしかしたら無国籍アクション映画の製作者としてしか見ていないかもしれないぞ!

彼は「グラン・ブルー」(最初は「グレート・ブルー」として公開)「ニキータ」「レオン」で、80年代後半から90年代前半まで、アメリカのタランティーノと並び、最も人気の監督だったのだ。2000年以降は「アーサー」シリーズを監督するものの、主に製作側にまわり(製作会社ヨーロッパコープの社長ですから)「トランスポーター」シリーズというヒット作を産む。その一連のアクション映画は世界マーケットを意識して、フランス映画でありながら英語言語だが、観客はアメリカ映画としか見ていないだろう。

そんなベッソンの監督としての新作は、なんとビルマ(現ミャンマー民主化運動の主役アウンサンスーチーの物語。いわゆる伝記映画だが、本人がバリバリ生きているのに、今つくるのが驚きとも言える。1947年の父であるアウンサン将軍が暗殺されてから、2007年の仏教僧たちの一大デモまでを描き、アクション&ヴァイオレンスがお得意と定義されがちなベッソンとしては、異例の女性が主人公の人間ドラマである。ところが見てみると意外や見事な真面目っぷりで、好感が持てる直球勝負の映画になっていたのに、更に驚かされた。

主演はミシェル・ヨー。代表作は1997年の「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」、それ以前の香港映画時代では、女性ながらでアクションをこなし、当時はミシェル・キングと呼ばれ、ジャッキー・チェンの相手役も務めていた。その彼女のアクションなしのアウンサンスーチーに成りきりの演技は見応え充分で、ベッソン監督もとても真面目な演出であった。

実はこの映画、よく見ているとアウンサンスーチーの家族の映画になっている。オックスフォード大学の教授で夫であるマイケル・アリスという男の半生でもある。デビッド・シューリス演じるマイケルの、妻と離れ離れになっても、妻の信念を尊重し愛する(二人の子供にもちゃんと伝わっているのが素晴らしい!)物語で、自宅軟禁の妻と会えないまま癌で死んでしまう。この夫の部分にスポットを当てた作りになっているのが、ありきたりの女子賛美ではなく、やはり『男気』大好きのベッソンらしいと感じるところであった。

やはり、1991年のノーベル平和賞の授賞式が見せ場ではあり、感動的だ。自宅軟禁のまま受賞したので、代理として夫と二人の息子が登壇する、それを彼女は遠く離れたビルマでラジオ放送で聞くしかないのだった。こんなことが許されていいのだろうか?という問いかけ、この映画のメッセージが最も感じられる場面であった。

撮影が終了しようとしていた2010年に、自宅軟禁から解放されるというニュースがあったとのこと。映画製作の過程では(怖いこともあるが)よくある説明がつかない不思議で、奇妙な廻り合せだと言えるだろう。ともあれ、リュック・ベッソンにも、こうした映画が撮れるのがわかったことが嬉しい(でも次は「96時間2」だけどね)