「桐島、部活やめるってよ」の青春像に自分を見た!

1972年、中学3年の時、ミュンへン・オリンピックの日本男子バレーの金メダルに感動し、それまで部活でやっていた野球を捨て、バレーボールに熱中した。翌73年の春、高校へ入って入学式にも出ず、バレー部の入部受付を探し校内をウロウロしてたら、入学式が終わってしまったという笑い話も付いてくる。しかし、翌朝の朝練からさっそく部活に励んだ高校生活のスタートだった。

一方、映画にも夢中になっていて、夏休み40日間に、40本見られるかどうかを映画好きの友人と競い合ったりして、夏休みは午前中は部活、午後は映画という若くなけりゃ出来ないハード・スケジュールの日々であった。また、バレー部は1年からレギュラーをもらえるという、逆に言うといささか層が薄いチームであり、負けることが多かったのも事実。上級生がいなくなると、練習をサボりがちになってしまうが、試合には“出てくれないか?”と呼び出しがあったりもした。

なんで、こんな私事を書くのかと言えば「桐島、部活やめるってよ」で描かれている青春像は、まさにバレーと映画に明け暮れた自分の高校生活とかなりの部分ダブるものであり、思わず振り返ってしまったのだった。そう、この映画の中には自分がいたのである。本来、映画の見方としてまずいのかもしれないが、登場人物たちに自分を投影してしまったのだ。

映画は見る側で作りはしなかったが、神木隆之介演じる前田君の映画への熱中は『自分』(もしかしたら武文かも?)だ。試合だけでも出て、と頼まれる宏樹(東出昌大、この後に期待したい新人!)の、どっち付かずの青春像にも自分を見た!でも、一番自分に最も近い青春像は、バレー部の副キャプテンで、身長が足りないという劣等感を持つ男子の小泉風助かもしれない。そう、青春には劣等感がついてまわるのである。

桐島が部活をやめるという(彼らにとっては)事件で、今まで隠していた、隠れていた不安定な感情、不安、不満、妬みなどが噴き出してくる青春のひとコマは、やはり魅力的であり、惹きつけられるものがある。それはやはり登場人物の中に『自分』もしくは『誰か』がいるからではないだろうか?

宏樹のラストの複雑な表情への過程としては、必要だったのかもしれないが、金曜日の同じ時間軸を違う人物側から描く手法には疑問は残る。吉田大八監督作品は前作「パーマネント野ばら」しか見ていないが、多くの登場人物を必要とする映画が好きそうな監督だと感じた。

こういう若い俳優が大挙して見られる映画は本当に楽しい。神木隆之介大後寿々花の二人は、若いけどキャリア充分だが、その他の出演者はまだ未知数であるが、そこが楽しい。最も今後が楽しみなのは橋本愛だ。「告白」は、それほど印象には残らなかったが、この後も「BUNGO」の中の1篇「鮨」と「ツナグ」がある。貞子女優を早く払拭して欲しい!山本美月はモデルから女優になれるか?それは東出昌大にも言える。

ウォーターボーイズ」じゃないが、何年か後、「桐島〜」って凄いメンツが出ていた映画だったんだぁと言われるように頑張ってほしいものである。