「最強のふたり」は“最強の映画”か?

大ヒットのフランス映画である。週を追うごとに、いわゆる『デート・ムービー』となり、普段フランス映画なんて見たこともない若者にまで、客層が広がっていると聞く。その若者たちの感想が“チョー良かったぁ!”だ。おそらく、いつもは洋画だったら、ハリウッドの超大作の日本語吹き替え版か、邦画だったら大手TV局が作るイベント映画しか見たことが無い客層だろう。

なんでハリウッドではなく、フランスなんだと思ったが、どうやら彼らは単に外国映画としか見ておらず、『皆が見てる、わかり易く感動できる作品』だから見とかなきゃ、であるらしい。よってフランス映画初体験の意識すらないようだ。また、ハリウッドでのリメイクも決定したというニュースを聞くと、この物語は絶好のアメリカ映画向きだなぁと思わざるを得ない。ハリウッド版のキャストのイメージはジャイモン・フンスーダスティン・ホフマン(二人とも歳だけど)になるかねぇ。

しかし、長年映画を見て来た世代で、更にヨーロッパ映画全般を見てきた人の感想の大半が“フランス映画って、これでいいの?、こんなハリウッド映画みたいなの作ってどうすんの?”になっているから不思議だ。そう、この映画に作家性を見出すことが出来ない=フランス映画らしくないという構図になってしまっているのである。逆に言うとだからヒットしたのであるが…。要するに一言で言い表すことが難しいのがフランス映画だったのに、この映画はそれが言えるのだ。

『車椅子の生活の大富豪と、その介護のアルバイトに来た黒人青年との愛と友情の物語』である。

つまらないと言っているのではない。フランス映画がかつて誇っていた品質がこの映画には無く、アメリカ映画的な面白さだと言っているのだ。冒頭の警察を揶揄うエピソードから、フラシュバックしての二人の出会いになり、時間軸が現在に戻る手法は余りにも芸がない。アース・ウインド&ファイアーの楽曲使用は世代的には新鮮に映るが、これまたアメリカ映画のMTV的だ。その楽曲に合わせ踊る黒人青年のカッコよさは、皮肉なことに現在のハリウッド映画の、白人スター不在を確認することになってしまった。

すると、日本に限らず全世界的に『映画に対する読解力』が落ちているということか?本年度のアカデミー賞作品賞をかっさらったフランス映画「アーティスト」にしても『いつか何処かで見たようなメロドラマ』で、それがハリウッドへのリスペクトと言うのが、どうしてもレベルの低さを感じてしまうのだ。もし「最強のふたり」が(フランスの代表作品とのこと)来年のオスカーで最優秀外国映画賞をとってしまったら、かなりの末期症状だぞ。

映画そのものの興行的成功は本当に素晴らしいことだ。パッケージソフトの発売日なんか関係なく(ちょうど「おくりびと」のように)大ロングラン興行になって欲しい。そしてハリウッド・リメイク版もヒットを期待するが、それらが『最強』ではないということも知って欲しいのである。

もし本物の『孤独な魂が寄り添う映画』を見たいと思うのなら、「真夜中のカーボーイ」または「スケアクロウ」を見るべきだ!