「アメイジング・スパイダーマン」が面白く感じた訳

そもそも、この映画の製作意図がよく分からないのだ。ついこの間サム・ライミ版の3部作が作られたばかりではないか。「ビギンズ」や「ファースト・ジェネレーション」のような前日譚的な物語ではなく、ピーター・パーカーという普通の少年が『蜘蛛男』になるまでという、同じプロットの繰り返しではないか!なんぼ時代の流れが早いハリウッド映画でも、そんなに古びた印象になったわけではないし、ソニーはそれほどまでにサム・ライミ版を払拭したいのか?

では、その同じ話を見てみてどうだったかというと、これが意外に面白かったのだった。サム・ライミ版に少しも思い入れがない。絶世の美女をキャスティングしないハリウッド映画のシリーズものを、面白がれという方が無理というものでしょう。『ヤッホー!と飛び回る若者ヒーローモノ』としてフラットに見ていただけでした。その部分の比較だけでも今回の方が面白かったのは至極当たり前のこと。

美女の部分は後回しにして、若者ヒーローという面で語れば、そこに至る前のピーター・パーカーの“なかなかの美男子だけど、半分ナーズな中途半端な学生”という青春像が妙にハマったのだった。前半は普通に見てたら、これのどこがヒーローもの?というぐらい単なる学園映画だ。そこがイイ!近年まったく作られることがなくなったが、80年代には確実にひとつのジャンルであった、マッチョ系学生とナーズ系学生の対立ものだ。

ということは「スパイダーマン」じゃなくても良いのか?という別の問題も出てくる。でもその中途半端な学生の部分があるから、育ての祖父が亡くなることでの後悔から、ヒーローへ向かおうとする後半が生きるのだった。その祖父と祖母を演じるのがマーティン・シーンサリー・フィールド。こうした実力のある俳優をトメとなる部分にキャスティング出来るのが、ちゃんとしたアメリカ映画で、ここは見ていてホッとするところだ。

そしてピーターの恋人グウェイン・ステイシーを演じるのが、今やハリウッドが期待を寄せる若手NO1のエマ・ストーンだ。「ラブ・アゲイン」の時はブルネット、「ヘルプ」ではモシャモシャのパーマ付きの茶と金髪の間だったが、今度の髪の色はド金髪だ!それもストレート!予告編で見たとき一瞬エマだと分からなかったぐらい、今回の金髪ストレートが意外な印象も受ける。彼女をキャスティング出来たことで、★ひとつ採点がUPというところだな。エマのアクション映画も見てみたい!

このグウェインの父が警察署長で、スパイダーマンに理解がなく『悪』と決めつけられ、その誤解をどうしたら解けるのかが後半の見どころ。アメリカ映画が再三描く、ヒーローに対し最も理解があるのが一般庶民で、最も理解がないのが警察機構というパターンが(「アベンジャーズ」にもあったよね)ある。ここでも息子を救ってくれたスパイダーマンに感謝しているビル工事関係のオヤジが、スパイダーマンを助けるべくクレーンを操作して、彼を飛びやすくしてあげる場面は痛快である。

確かに後半の戦いの場面は、サム・ライミ版の方が面白かった印象はある。まぁ、今回の監督が「500日のサマー」のマーク・ウェブなのだから、当然アクションより若者恋愛系の色が濃くなるのは仕方ないだろう。しかし、まだ「500」という小品しか発表していない監督に、会社の看板ともいうべきビッグ・バジェットの作品を任せるハリウッドの懐の広さも凄いというしかない。そこは「ディエリスト/決闘者」という作品しか作っていなかった(CF界では有名だったが)リドリー・スコットという新人監督に「エイリアン」という超大作を任せたという伝統みたいなものか?

ピーターの父親の謎の部分はまだ多く残されての終わり方なので、当然のように続篇が出来るのだろうが、次は学園ものには出来ないんだから監督は変えるべきだと思いますよ。