「ダークナイト・ライジング」でIMAX初体験!

2回目の「ダークナイトライジング」を見にユナイテッド・シネマ豊島園に行く。1回目は丸の内ピカデリーの試写で、なんと確信犯的フィルム上映だった。それはそれで今となっては、何やら貴重な上映と思いはするものの、予告編で散々見させられたデジタル映像が強く印象として残ってしまい、珍しいことに“フィルムの質感より、デジタル上映画面の方でもう一回見たい!”と思ってしまったのである。

この映画の場合、実はデジタル上映=IMAX上映なのであった。ハリウッド映画の近年の大作のほとんどが、IMAXで上映されることを前提に製作されるようになったが、「〜ライジング」で初めて見たいと思ったのだった。そこで「〜ライジング」の2回目は絶対IMAXで見ると決意し、浦和にするか、川崎にするか、豊島園にするか、と迷った挙句、豊島園で見ることにしたのである。

今まで劇映画のIMAXは見たことがない。でもIMAXの映像は早くから見ていて、最初は大阪で開かれた、1970年の万国博覧会だろう。そのスクリーンの大きさは今でも記憶に残っている。そして意外にも自宅の近所にもIMAXはあった。埼玉県所沢市の航空公園内にあり、雄大な大空の風景の映像を見せてくれる。その航空公園のIMAXのスクリーンサイズは縦15メートル、横20メートルとなっている。

問題は、このスクリーンサイズだ!現在、豊島園他で上映されているIMAXは、『IMAX』という会社が開発したデジタル上映を指すのかもしれないが、本来のIMAXは=ジャイアント・スクリーンであるべきなのだ。ところが豊島園(だけかもしれないが)のサイズは余りにも小さい!大いに失望した!このサイズなら今も歌舞伎町で頑張る新宿ミラノ座の方が大きいでしょ。

これを大型画面というなら、今は無きシネラマ方式上映のテアトル東京にも、D150方式上映の新宿プラザ劇場にも笑われるぞ!これでIMAXというのなら、本来のIMAXが提唱したジャイアント・スクリーンはどうしたんだ?もう2度とIMAXで見たいと思わない。まぁ、サウンドの迫力は素晴らしかったけど、どちらかと言えばスクリーンサイズのデカさの方を重要視するもんで…。

そんなガッカリIMAXに比べて、2回目でもまったく問題なかったのが映画本編。ますますクリストファー・ノーランという007オタクが好きになってしまった。「インセプション」の雪山銃撃戦を見て“何か、とっても007!もしかして好きなんちゃう?”と思っていたら、ヒョンなことから渡辺謙さんを取材する機会を得、謙さん自身の口から“クリスはロジャー・ムーア時代の007が特に好きなんだ”の証言をいただき、ニンマリとしたのだった。

今回の「〜ライジング」も冒頭の場面は、「007リビング・デイライツ」(ロジャーじゃないけど)のオープニングの貨物飛行機のアクションシーンを思わせるもので、『やってるなぁ』であった。ところが、今回の監督が“僕はコレが好き!”と映像で公言したのが西部劇であった。バットマンとベインの殴り合いは、まさにジョン・ウェイン映画の殴り合いの場面を彷彿させ、西部劇じゃないけどウェインの相手は「静かなる男」のビクター・マクラグレン(がベインか?)が当然のように頭をよぎる。「〜ライジング」は、こうしたノーラン監督の映画的記憶に満ちているのだ。

ジョゼフ・ゴードン=レヴィット扮するドレイクが、ショットガンを手に車から降りて、入院しているゴードン署長を助けに行こうとするカットと動きこそ、西部劇だ!レヴィットが「リオ・ブラボー」のリッキー・ネルソンに見えるじゃないか。お久しぶりのマシュー・モデインが見事討死する場面も、何やらインディアンとの激突シーン(すると彼はカスター将軍か?)に見えるのだ。

そして、何と言ってもキャット・ウーマンだ!もちろん、前のキャット・ウーマンも嫌いじゃないが(なんたってミシェル・ファイファーですからねぇ)、これは見事なアクション。ヒロインだった。体にピッタリのキャット・スーツも悪くないが、個人的には冒頭の黒ずくめのメイド姿にヤラレたね。演じたアン・ハサウェイの細かな表情の変化が見事だ。1回目の鑑賞では気付かなかったが、ブルースが“地獄の洞窟”から脱出した後に、目の前に現われた時の『裏切った気まずさと、生きていたことへの安堵感』など複雑な感情が入り交じった表情が素晴らしい!

ただ、核爆弾を運ぶ前のキスシーンは余計だ。なぜなら二人はバットポッドを通じて、すでに交わっているからだ。あのマシンこそバットマンそのもの。そこに跨るということは正に『騎乗位』だ!キャット・ウーマンはいつも上のポジションが好きなんだ!なんとセクシーな疾走シーンだろう。そして塞がったトンネルに向かって“発射と爆発!”これこそ、ブルースとミランダの、あまり意味の無いラブシーンよりずっと刺激的な描写ではないか!

問題はベインをどう見るかだ。結局のところ彼は操られた悪であり、純愛の果ての悪なのだ。この関係は『美女と野獣』であり『キングコングとアン・ダロウ(ナオミ・ワッツではなく、フェイ・レイだな)』なのである。だからベインの最期は、お役御免となることで、ミランダの手によって壮絶に殺されるべきだったのだ。前半のベインの巨悪ぶりが、後半失速気味な印象を受けるのは、あまりにもあっけなくキャット・ウーマンに殺られるからだ。

ラストの大団円も含め、クリストファー・ノーランの投げた球は、今回は真っ向勝負の直球だった。彼は知的な変化球が得意で、それを期待したファンは、大方「ダークナイト」の方を評価するであろうが、ジョーカーのアナーキーな犯罪心理がどうした、こうしたが『何とも回りくどい』と感じてしまっている側としては、圧倒的に「〜ライジング」のエンタテインメント性を評価するのである。

この流れのまま、ノーランには次の「007」を、ぜひ撮ってもらいたいのだ!!