「一枚のめぐり逢い」で分かる“何故、アメリカの恋愛映画が当たらないか”

ハリウッドは、本当にニコラス・スパークスの恋愛小説を映画化するのがお好きのようで、ケビン・コスナーの「メッセージ・イン・ア・ボトル」、リチャード・ギアの「最後の初恋」といったスター・ムービーから、見ているのに全然覚えていない「ウォーク・トゥ・リメンバー」、見ていない(ごめんなさい、単なるディズニー映画だと思って、彼の原作だとは知らなかった)「ラスト・ソング」など様々あり、合計7作品が映画化されるという、スティーブン・キングも吃驚の好成績の映画化率だ。

なかでも「きみに読む物語」は“女性が泣ける映画”として、最も知名度ある作品だろう。この映画で一躍ライアン・ゴズリングレイチェル・マクアダムスが注目されたことでも分かるように、彼の映画化作品は若手俳優のステップアップの役目も持っている。「ラスト・ソング」はマイリー・サイラス「親愛なる君へ」はアマンダ・セイフライドチャニング・テイタムといったように…。そして「一枚」では「ハイスクール・ミュージカル」で人気者となったザック・エフロンが主演だ。

こうして続々と(スパークス以外もある)恋愛映画が、まだアメリカでは製作され、それらがちゃんとある程度の興行成績になっているのだが、それが日本のマーケットでは全く見向きもされなくなってきている。ソニー・ピクチャーズ配給の「君への誓い」も同時期の公開でありながら、何の相乗効果も生み出すことなく、あっさりと公開終了となった。

この手のアメリカ恋愛映画の当たらなさは、いったい何が原因なのか?それが「一枚のめぐり逢い」から少し読み取ることが出来た。要するに現代の日本女性は、まずは女性が主人公として自立している存在として描かれていないと、まったく興味を示さないということ。いわゆる「プラダを着た悪魔」に代表される、まずは『お仕事ムービー』としての立ち位置が優先であり、恋愛はその次でいいのだ。ところがアメリカは未だに、女子は男子が守るべき存在といった、レディファーストの国。

この映画でも、イラク派遣で傷ついた海兵隊員が主人公であり、その彼の恋愛対象が一枚の写真に映っていた彼女だ。田舎町に犬の躾と預り業のような事を母としている、このシングル・マザーの女性はやはり“白馬の王子様を待ってる女の子”として描かれる。恋愛映画としては、それでいいのだろう。しかし、やはりどうにも古めかしい。この話のプロットで、登場人物の年齢を引き上げて、熟年の恋にしたのが「最後の初恋」だ。両方見るとすぐ分かりますよ。

おそらくアメリカでのスパークス恋愛映画のターゲットとなる年齢層は40代の女性だろう。だからアメリカでは、この古めかしさでいいのだ。でも若干、下の年齢層を獲得したいのでザック・エフロンを起用(彼だったら男性観客も呼べるとのこと!)したのだろう。結局、こうした恋愛映画は、今後も限りなくアメリカ国内向け映画として製作され、日本では公開すら難しくなって行くのだろう。

スパークス恋愛映画で、前作の「親愛なる君へ」と、この「1枚〜」で“へぇ〜、そこを描くんだ”と思ったのが男が共に兵士であること。そして恋愛のバックに「親愛〜」だったら9・11を描いて、二人を引き裂こうとする出来事とし(それにしてもなんと甘ったるいラストシーンなんだ!)、「1枚」ではイラク派遣の海兵隊員の戦争後遺症が前半の主題(後半、どっか行ってしまったが)となったこと。要するにアメリカの抱えるナーバスな問題が、実は、恋愛という個人単位の事柄にも密接に関係してしまうという現実を描いているのだ。ここは大変興味深いところだった。

でも、それじゃぁ、余計に日本じゃ当たらないよねぇ。