ワンマン映画に文句を言っても始まらないでしょ。

キネマ旬報誌に載っていた大高宏雄氏のコラムで槍玉に上がっていたトム・ハンクスの監督作品「幸せの教室」であるが、見事なほど大高氏の言いたいことが分かり、思わずニヤリとしてしまった。要するに、この映画の脚本上の不備や、キャラクーの描写の大雑把さを許せない映画関係者と、大高氏の“作品によって、そんなに真っ当に見るのではなく、細部を楽しむ見方もあるのに”という映画観賞のギャップ(これって大きい!)を取り上げているのだ。

主人公のラリー・クラウン(またまた人物名が原題)は高校卒業後、軍隊に入りその後は大型スーパーで中核となって働く、離婚して独り身の五十男。学歴がないという理由で突然のリストラを受け、それでは学歴取得をしようと大学に入る。受ける授業がジュリア・ロバーツが先生の『話し方教室』みたいな10人しかいないクラスと、ジョージ・タケイ(トレック!)が教授の経済学の(これは大きなゼミのよう)ふたつ。映画はけっこう能天気な中年男の、遅れてきたカレッジライフと、先生と生徒の恋愛という定番の展開を見せる。

この映画を否定する人の見方も分らないではない。リストラされた悲愴感の無さは良しとしても、ラリーが何を目指して大学に入ったかが不明確だし、それを勧誘した学長が、物語絡んでくるかと思えば、何もなし。ラリーが『話し方教室』の同僚と何かを起こすのかと思いきや、このクラスの学生の描写は細かくなく、経済学のラテン系の娘と授業中にメールしたり(五十男の良識がなさすぎでしょ)、バイクで一緒に走ったり、この娘の言いなりでおしゃれし出したりと、このオッサンの生活これでイイの?と、かなり映画としては不出来なことは事実だ。

しかし、画面にはトム・ハンクスジュリア・ロバーツという二人のスターがいる。実は、この映画は、それだけで成立している映画。特に、こんなスタイルが良い美女の先生は反則!と思うほどジュリアはセクシー。彼女が酔った勢い(悪い印象はなかったので、いつかは)で、ラリーとキスするところは、やはりスターとしての見せ場だ。他にもスターならではの細かい見せ場があり(ジュリアが巨乳好きの夫にブチギレる場面!)、そうしたカットを見ているだけで充分に『アリ』なんだな。

そもそも、この映画の製作母体プレイトーンはトム・ハンクスの製作プロダクション。そして脚本、監督、主演ときては、究極のワンマン映画ではないか!確かにアメリカの興行でも大失敗のようであったが、娯楽のツボは一応押さえているでしょう。いわゆる“突っ込みどころ満載!”のスター主体のアメリカ映画の典型なのだ。そんな映画に目くじら立てるより、何回目の共演?もしかしてトムはジュリアがすごく好き?もし「スプラッシュ!」がダリル・ハンナじゃなく、ジュリアだったら?なんて二人の長年のキャリアを思い返しながら見ている方が、ずっと楽しくありませんか?

でも第1回目監督作品「すべてをあなたに」は小品ながら成功、この2作目は失敗、トムの3回目の監督作品はあるのだろうか?やはり、もう止めたほうが良いかもね。