何か悔しいけど、文句なしの作品!

原田眞人が映画監督になる前の、映画ジャーナリスト時代を知っているのは、現在、何歳ぐらいの映画ファンだろうか?記憶に残っているのは、若者向けの洒落た雑誌系にLA発信の映画情報などを書いている頃からか?ユニークな存在の映画評論家がいるなぁと思ったのが70年代後半だったろうか?それが突然、映画監督になったもんだから驚いたのなんの。日本にもゴダールや、トリュフォーのようにペンからキャメラに持ち替える人もいるんだなぁと感心したものだ。出来た映画が「さらば映画の友よインディアンサマー」。

あの伊丹十三もそうであったように、いわゆる部外者監督たちの第1作目は『自伝的映画』というやつだ。原田監督の「さらば〜」のまさに映画が好きな自身の話。しかし見たものの、あまり物語は印象に残っていない。何故ならひとつの台詞があまりにも強烈だったから。“俺は、映画を1年に365本見ることを20年続けるのが夢なんじゃ”(もし記憶違いなら、それが自分の夢でもあったので、こう覚えたんだな)。川谷拓三扮する映画好きの中年男の、この台詞で「さらば〜」は『記憶の映画』となったのだ。

その後、監督としてバイクの映画だったと記憶する「ウインディー」、当時人気絶頂のアイドルグループの映画「おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!」、ハリウッド的SFアクション「ガンヘッド」などを発表する。ちゃんと劇場で見てはいるが“つまらなくはないが”程度の感想しかなかった。逆に見逃してしまったのが「KAMIKAZE TAXI」(DVDは持っているが、まだ見ていない)。しかし、監督業以上の名前の露出になったのが、戸田奈津子さんに変わって担当した「フルメタル・ジャケット」の字幕監修。キューブリック監督の意向というが、スラング&ダーティワードをどう訳したら変わるものなの?

一皮剥けたと言えるのは、「金融腐蝕列島〔呪縛〕」をモノにしたことだろう。見事なスケール感のある社会派エンタティンメントに仕上げ、才能の本格開花を示したのだった。ここから原田的演出が確立されたのではなかろうか。すなわち複数の人間による矢継ぎ早の台詞の応酬、聞き取れないほど被っても構わないといった、臨場感の方を優先した画面構成である。それは「突入せよ! あさま山荘事件」でも「クライマーズ・ハイ」(ちょっとやり過ぎの感あり)でも変わらずだった。

そうしたダイナミックな演出が、この井上靖原作の映画化「わが母の記」のような、母の死の物語に合うのか、また原田監督はその手法で撮るのか?と思って見た。なんと台詞のダダ被りはないものの、役所広司南果歩、また宮粼あおいとの早い台詞の交換と細かいカット割りと、まったく変更はない、いやむしろもっと研ぎ澄まされたと言っていいほどのリズムを生み出していた。これは編集を担当した息子の原田遊人の功績も大きいぞ。美しい映像と共に『新しい原田映画』の誕生に身震いしたのだった。

しかし、従来の原田映画の真骨頂の場面もちゃんと用意されていて、認知症の母が一人で家を抜け出し海へ行きたいと、トラックの運転手が屯す食堂に紛れ込んでしまう場面の構図と、台詞のやり取りは「クライマーズ・ハイ」の編集室の騒ぎそのものの。この男騒ぎのカットにニヤニヤしてしまうのだった。

物語としての見所は、母と息子の映画として見せる一方、父と娘の映画ともなっている二重構造の面白さだ。予告を見ていた時点では、宮粼あおいのキャスティングは、若い観客を呼ぶためのものであって、彼女の役は『単なる娘役』と思っていた。しかし、映画を見て言い切れる“この役は宮粼あおいにしか出来ない!”それだけ彼女に助けられている映画だ。とは言え彼女の演技を生かすのも、他の演技者のお陰というほど、この映画のキャスト・アンサンブルは見事だ。中でも山田洋次監督「おとうと」で圧倒的存在感を示したキムラ緑子が、ここでもイイ味わいを見せる。

そう、山田監督が「おとうと」で加瀬亮蒼井優の恋を描いたように、原田監督も宮粼あおい三浦貴大(う〜ん、この二人の昭和のカップルいいなぁ)に最高の恋の場面を用意した。三女の琴子(宮粼)が編集者の瀬川(三浦)に、自分との結婚を迫る場面は(全体がアンサンブルだらけなので)、この二人の見せ場で、ある意味クライマックス!

これらを見ていくと、この映画ほどしっかりと松竹の伝統を受け継いだ作品はないと言えるほど、『ザ・松竹映画』となっているのだった。この『新しい原田映画』に悔しいけれどは拍手を贈ろう!