「戦火の馬」は、スピルバーグの映画体験がよく分かる1本だ!

一人の監督をデビュー作から見続けていられる事が、本当に映画ファンには幸福なことなのだ。自分の映画鑑賞体験と、その監督のキャリアがずっっと繋がっているいられるわけなのだから…。自分にとって、その代表がスティーブン・スピルバーグだ。アメリカではTV映画扱いの「激突!」は日本では旧新宿ピカデリーの大スクリーンで(1973年の正月第2弾作品)公開され絶賛された。そこからちゃんとスクリーンで見ているので、自分の中ではスピルバーグのデビュー作は、この「激突!」なのだが、正式なフィルモグラフィーはやはり「続・激突!カージャック」なのだろう。まぁ、仕方ないか。

スピルバーグの何が凄いかって、そこから70、80、90、2000年代を経て、2012年の現在まで、第一線の監督であり続けていることだ。40年間TOPを走り続けているのである。例えば1972年の代表作である「ゴッドファーザー」のフランシス・コッポラは?「フレンチ・コネクション」と「エクソシスト」で70年代を駆け抜けたウィリアム・フリードキンは?「ラスト・ショー」「ペーパー・ムーン」のピーター・ボクダノヴィッチは?彼等には持続力がなく、絶え間なく作品の提供は出来ていないという事を考えれば、いかにスピルバーグが凄いかが分かるだろう。

75年の「ジョーズ」の驚きは忘れられない。『鮫』が主役の映画なんて!である。まぁ、考えてみれば「激突!」の主役も人間ではなく、タンクローリーであったのだから不思議ではないのだが…。そして「E・T」は宇宙人、「ジュラシック・パーク」が恐竜と、彼の映画には主役が人間以外という作品が多いとも言える。新作「戦火の馬」では、そのタイトルどおり『馬』を主役の映画を撮ってしまった。なんかもう、スピルバーグもここまで来たのだから、作品を当てようだとか、スタジオのためとかいう次元を越えて、『自分の作りたいと思う題材のみ製作』のスタンスのように感じてしまうのだ。

1頭の馬の波乱万丈の運命を軸にした、第1次世界大戦映画である。作物を作れない農家の馬は、戦争に駆り出されて行く時代の物語で、軍隊に行った馬に人間は何を求めようとしたのか?原作が馬の視点で描かれているのが分かるものの、スピルバーグはそこまでの視点は求めず、馬の肉体を動かすことですべてを表現してしまった。その馬の動きの手本は普通に見たら、ジョン・フォード映画だろう。しかし、ヤヌス・カミンスキーキャメラ(今回は撮影賞とって欲しかった!)の向こうに「ベン・ハー」の馬の撮り方も垣間見えたりもする。

そう、この映画はスピルバーグの、大好きな監督たちへのリスペクト映画でもあるのだ。ファーストカットからすでに、アイルランドの風景の中のジョン・フォード映画を思い出させ、その緑は「静かなる男」の田舎そのものだ(「静かなる男」は「E・T」の中で、エリオットのキスシーンに出てくる映画でもある)。作物の出来ない過酷な風土の描き方はデビット・リーンの「ライアンの娘」を思い起こさせる。戦争の一部始終はユニバーサル映画の金字塔「西部戦線異状なし」だろう。そしてラストの夕陽は「風と共に去りぬ」だが、そこから見える人間と馬の小ささは「アラビアのロレンス」でのアリの登場シーンではないか!

という具合に次々と登場する、多くの名作をリスペクトした上で「戦火の馬」は1次大戦の頃は、まだ馬が兵器の一部だったことを教えてくれる。その馬2頭の名演には驚愕と涙である。しかし実は馬のキャラクターが立ちすぎていて、人間の描写の部分は弱くもある。入れ替わり立ち代りに馬に関わる人間が変わることも、人間側は誰が主人公?と思ってしまう部分だ。後半の見せ場である鉄条網に絡まった馬を助ける兵士の部分は(名もない兵士故に)見事に描かれていて、そこからラストまでは人間側も頑張ったのだが…。

とは言え、「タンタンの冒険」では味わうことの出来なかった『スピルバーグ映画』への満足度は高く、65歳の彼のまだまだこれからの活躍ぶりに期待できる幸せな1本でした。