ルーカスVSキャメロンの3D対決は?

アニメーションでは、ディズニーが「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」「ラインキング」「美女と野獣」などの旧作(嫌いな言葉だが、適当な文言がないので)を最新技術で3D化してきたが、いよいよ実写映画の旧作3D化の真打とも言うべき「スター・ウォーズ エピソード1ファントム・メナス」(以下「EP1」)と「タイタニック」が登場した。特に「タイタニック」は1912年に史実としての事故があってから、ちょうど100年という節目の年にあたり、映画の3Dは記念(こう呼んでいいのだろうか?)イベントとして最高のコンテンツとなった。

同時期の劇場公開だから、どうしても二作品を比べてしまう。製作年度は「タイタニック」が1997年「EP1」が1999年という、ふり変えれば15年前と13年前という、結構な過去の映画となってしまっている。その後のハリウッドは、更に特撮技術を駆使して大掛かりな映画の数々を作り続けてきた訳である。実は、今回「タイタニック」を見てみての印象が『意外と大人しい映画だったんだ』という印象に驚いた。初公開の時に、あれだけ剛腕キャメロンの派手な虚仮威しと思っていた映画だったのに、である。それだけ15年という歳月は「タイタニック」ですら、穏やかな映画に変貌させてしまっていたのだ。

一方、「EP1」の印象は3D効果については、まったく意味の無い加工という印象でしかないのであるが、作品自体については“こんなに面白かったっけ?”である。「SW」は『ルーク・スカイウォーカーの冒険』と同義語の世代としては、初封切り時の「EP1」を相当な食わず嫌いで見ていたんだなぁ。今回は、アミダラ姫の影武者の件なんかにワクワクしてしまったのでした。

そもそも「スター・ウォーズ」という映画そのものの基本的構図は、77年製作の「EP4」からして、手前から奥への立体的構図でしょ。それらは、オープニングのテロップ、それに続く巨大なデス・スターの通過ですでに証明されていますよね。「EP1」のポッド・レースの構図がすでにキチンとした奥行きのあるものなのに、なんで3D化にする必要があったのか?また、その効果がほとんど目に入ってこないという不思議な画面でしたよ。

それに対して、さすがに3Dの本家キャメロンは分かっていると言わざるを得ない。船の先端の名場面や、沈没場面で3D効果を最大限に出すより、ドラマの部分で見せてくれるのである。そう、“やるねぇ”と思ったのはレストランで食事をする場面の奥行き感だった。ラスト・シーンの階段のところで、ローズが全員(天国の入口ですかね)に迎えられ、キスする場面でも生きていた。3D効果については2本の対決は「タイタニック」の圧勝ですね。

また「SW」の登場人物たちを人間として捉えられないのか、せいぜいナタリー・ポートマン、まだ少女だとなぁと思う程度で、役者の顔の様変わりを意識しないのに対して、「タイタニック」においてはディカプリオもケイト・ウィンスレットも『今や立派な俳優になったが、この頃は二人とも青いなぁ』と現在の彼らと比較して見たりしてしまった。「Jエドガー」や「愛を読むひと」の時の顔立ちが現れ、感慨深いものを感じたりしたのだった。そんなに二人の熱心なファンではなくとも、この15年間、二人がいかにアメリカ映画界の中核にいたかを振り返ってしまったのだ。

そして意外や、スペクタクルな場面よりも、ローズが自分の家庭環境に不満を持つ、新しい時代の女性像であるドラマの部分が面白く感じ、すると、この映画が地味に見えてきたという次第だった。婚約者(ビリー・ゼーン好きですよ!)のボディガードの見張りから逃れるあたり、子供のかくれんぼのような場面でしょ。そんなベタな恋愛場面が今回気にならなかったのは、こちらの歳のせいか?

なんか3Dにしたことで、劇場で「タイタニック」を見ていない世代の『大きなスクリーンで見たい』という単なる作品鑑賞願望のハードルをあげてしまい、敬遠されてしまったのでは?だとしたら、これほどもったいないことはない!今からでも遅くない、第3回『午前十時の映画祭』のメイン作品にして、学生料金500円で若い世代に「タイタニック」を見せるべきである!