巨匠スコセッシの3Dは素晴らしい!

3D映画がどうにも好きになれない者にとっては、巨匠マーティン・スコセッシが「ヒューゴの不思議な発明」を3Dで製作したと知った時の驚きと嘆きは相当のものだった。古きよき映画を愛し、映画の褪色を防ごうなどの、いわゆるアーカイブに積極的なスコセッシは、最先端好きのキャメロンやゼメキスとは違うはずなのに!流行ものに手を出すなんて!とショックだったのである。

そもそも映画の題材からして、いつものスコセッシではないではないか。悪人(でなくてもエキセントリックな奴等)を描いてこそのスコセッシはどうしたんだ?少年と少女が主人公(この時点では、こんなに素晴らしい話とは知らなかった)の映画なんて、何故、彼が撮るのだろうという疑問符だらけだったのだ。

まぁ、何の映画でそうですが、上っ面で勝手に判断してしまってはいけませんね。そう「ヒューゴ〜」を見れば分かることなのでが、なんと素晴らしい3D効果に満ちた、美しい映画でしょうか!と言う具合にコロっと変わってしまうのですよ。この『映画愛』の塊の作品は、間違いなくスコセッシ監督の映画そのものだ!そして3D映画はこうしたほうが良いという、見本のような出来で、さすが巨匠、そこまで分かっていたのですねぇ。まさに驚きの連続の、巨匠の更なる進化を見たのでした。

まず、映し出されるパリの風景が素晴らしいのだが、そこからダイナミックにキャメラが動き、時計台の中にいるヒューゴの目に寄るまでのワンカットに驚く。そして、それはスコセッシのヒッチコック的ワンカットへのオマージュとも取れるのだ(後半に、もう一度キャメラがガラスを抜けるワンカットがある)。そして駅の雑踏の人々の姿には、ルノワール(オーギュストとも、ジャンとも言える)の世界も感じられる。この駅の風景は、実は原作にはない映画独自の世界で、カフェの貴婦人や花屋の娘などの描写があってこそ、映画が原作を離れての傑作となった要因だ!もちろん、ヒューゴはトリュフォー「大人は判ってくれない」のアントワーヌ少年が重なるのだ(これは原作のイラストにもある!)。

この映画には一人も悪人が出てこない事も、新しいスコセッシという意味において興味深い。唯一、サーシャ・バロン・コーエン(この俳優侮れないなぁ)演じる鉄道公安官がヒューゴに敵対する存在だが、彼だって戦争で傷ついた、花屋の娘に恋をする青年ではないか。そして最大のキャラクターは、ジョルジュ・メリエスと彼が作った映画だ!“ジョルジュ・メリエスって誰?”という若者は多いだろう。しかし、いつか何処かで彼が作った「月世界旅行」のロケットが月に刺さった一場面の画は見ているのではないだろうか。それだけ、このワンカットは有名である。

映画ファンには堪えられない場面としては、リュミエール兄弟の、最初の興行としての上映「列車の到着」で驚いて逃げ惑う観客のカットを、映画として再現してしてくれたこと。そして(もちろん想像だが)メリエスの映画製作の現場って、まるでサーカスの様な感じで、こんなんだったろうなぁと見せてくれたことなど、盛りだくさんな映画愛だ!白眉は映画研究者(このキャラクターはスコセッシ!)の尽力で再びメリエスに脚光が当たる場面(このカットの3D効果が凄い!)だ。その前の映画研究者がママ・ジャンヌに「月世界旅行」を見せてあげる場面は、涙がこみ上げること必至!!

結論!なんでこの傑作にオスカーが行かないんだ?訳が分からん!