もう、Mrビーンとは呼んじゃいけない!

ロワン・アトキンソンには申し訳ないが、第1作目の「ジョニー・イングリッシュ」は、見ているのだけれど、まったく記憶に残っていない。ロアンのイメージがMrビーンと同化している絶頂の時期だったかもしれないが、結局ビーンがなんかスパイ映画(当然、007である)の真似事しているよなぁ、という印象がすべてだったように思う。まさか続編が出来るとは思いもしなかった。

タイトルは「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」と本家の「慰めの報酬」をもじったが、この邦題のセンスなかなか面白い。原題は「Johnny English Reborn」とありきたりの続編タイトルだ。この邦題というやつが、このところ良いのがない。もっと言うと付ける気がないと感じるほど、カタカナタイトルのままというのが多い。以前は人物名の原題ならば、内容が通じにくい判断して、適切な邦題を配給会社が考えたものである。その成功例が「俺たちに明日はない」であり、「明日に向って撃て!」だ。

まぁ、007シリーズそのものが、製作第1作目「007は殺しの番号」2作目「007危機一発」となってスタートしたので、007の次に邦題を、直訳でも日本語で(「私を愛したスパイ」!)付けることが基本となっていたので、「気休めの〜」のようにパロディ化はしやすかった?

では肝心の映画は、良く出来た邦題に比べて、どうだったか?はい、久しぶりに腹の底から笑えた上質のコメディでした!公開館の有楽町のスバル座は、サービスDAYというプラス要素もあったが、満員だったのが納得で、これだけ面白ければ当然のごとく、口コミで広がったのだろう。そして更に、もっと多くの人に見てもらいたい、と思ったほどだ。この面白さはみんなが見て損はないぞ!

何が秀逸かと言えば、ちゃんと前半から、後半に生きる伏線が貼られているところ。そして物語の根本と、物語から逸脱するコメディ場面とのバランスが良いので心地よく見ていられる。この手のパロディ映画の最大の欠点は、次々に登場するパロディネタで、お話が進まなくなることだが、この映画はそれが上手い具合に按分されているのだ。「007危機一発」(リバイバル時に直訳邦題「007ロシアより愛をこめて」)で登場したロッテ・レーニャ演ずる女暗殺者のパロディとして、掃除のおばさん暗殺者が登場する。その暗殺者が上司の母親と(もっと言うと〇〇女王とも)そっくりで、いつも間違えてジョニーがボコボコにしてしまうというギャグに爆笑してしまうのだ。

伏線はオープニングのチベットの寺院での、変な特訓が実は後半に大事な役目を果たすというもの。これは格闘に加わるギャグネタで、前半の特訓を忘れてしまっていたので、その場面が来て思い出し、笑いながらも『そうきたか!』と感心した。秘密兵器を与えられる場面も含め、基本的にはスパイ映画の要素がちゃんと盛り込まれているので、パロディが(雪山の場面は「女王陛下の007」だ!)生きて来るのだ。

パントマイム的なMrビーン色の強い笑いも、部分的にあることも確かだが、最終的にはジョニー・イングリッシュのキャラクターとしての活躍が見事に描かれているのだ。これを楽しんでしまうと、もうロワンを=Mrビーンとは呼べないのだ!