オスカー獲得には言うことないけどねぇ…

「アーティスト」の本年度アカデミー賞受賞には驚いた!本命視されていたことは知っていたが、まさか我らのハリウッド村が、フランス人が作った白黒サイレント映画に作品賞も監督賞も、ましてや主演男優賞までもを挙げるとは思わなかったのだ。と、同時に『村』のプライドはどこへ行ったのだ!と嘆かわしくなった。そう、この映画はハリウッドが作るべきもので、フランス人に作られた事を悔しく思っていないのか?まぁ、悔しかったら賞を挙げないと思うから、何も考えていないのだろう。逆にフランス人にも、こんな影響を与えたアメリカ映画って凄い、とか思っているのだろう。

それだけ、今のハリウッドに自分たちの国が作った映画を誇ろうという意識が失われているのだろう。経済としての映画産業を重要視し、各メジャー各社は収益回収としての興行がすべてとなっている。故にヒットする映画を目指し、企画は必然的に知名度がある続編か、リメイクとなってしまうという悪循環だ。すると賞を獲得するのは、まだ作家性を発揮できるインディペンデントの制作会社となる。フォックス・サーチライト、ワインスタイン・カンパニーといったあたりの個性的スタジオだ。

では「アーティスト」という映画そのものは、どう判断すべきなのだろうか?作品の骨組みは「雨に唄えば」と「スタア誕生」にダグラス・フェアバンクスや、チャップリン映画の数々を塗してある、良く出来たメロドラマといったところだ。古くから映画を見ている世代にとって、いつか何処かで見た『画』ばかりで、どこも新しくない。サイレント映画の大スター、ジョージ・ヴァレンティンの登場する場面、彼の笑顔に寄るカメラアングルって、「風と共に去りぬ」のレット・バトラー登場シーンそっくりだぞ!

そうした数々のクラシック映画の、オーソドックスさを取り入れた王道を良しとするか、ありきたりな映画と観るかで評価は別れる。王道のエッセンスのコラージュと、オマージュは面白く見られ、一定の評価はするが、最終的な作品の印象は、“頭の良い作家の映画”というもので、その頭の良さがオスカー獲得の要因だったとしか思えないのだ。これは現場の感情が生み出したというより、机の上で計算され作られたように感じてしまうのである。

日本語の四文字熟語で言う『温故知新』であろう。色と音が溢れている今だからこそ、逆にモノクロが新しい、音がない映像が新鮮に見えるであろうと計算された映画だ。だからそこに意外性はなく、いわゆる計算外の面白さは全くない。オスカー授賞には文句はないが、結果には皮肉を感じる。何故なら「ヒューゴの不思議な発明」がアメリカ映画なのに舞台がフランス、「アーティスト」はロサンゼルスが舞台のフランス映画。これを皮肉と呼ばずしてなんと言おう。

ロスで大掛かりなロケを敢行して、多大な経済効果をもたらした、お礼の意味のオスカー受賞って言われて可哀相だと思うが…。