1964年(昭和39年)は小学校1年生でした!

2004年の第一作目は昭和33年の東京タワー建設中の街が主人公だった。2作目は日本橋に高速道路が架かる前の風景、そして、この3作目の「ALWAYS 三丁目の夕日64」は、1964年の『東京オリンピック』が開催されている東京が時代設定となった。前2作の時代に対しては、自分が生まれてはいたが記憶がないという部分で、さほど思い入れがなかった。しかし、この3作目の背景の東京オリンピックは、まざまざと記憶しており、都内巡回中の聖火も父親の肩車で見たし、国立競技場で燃えている聖火も外から眺め、劇中でも登場した女子バレーの決勝の様子もよく覚えている。小学校1年生のことでした。

この作品の一番の強みは、3作目ともなると各キャラクターが観客側に認知され、物語が手際よく進行していくところではなかろうか?「男はつらいよ」シリーズで、車寅次郎が画面に現れれば、キャラクター説明は不要のまま、とら屋の人々も動き出すのと同じ理屈だ。いわゆる映画が一人歩きしてくれるのである。

茶川とひろみは結婚して、淳之介と一緒に住んでいる。その当たり前の描写でいいのだ。よって、それぞれのエピソードがすぐに始まる。話の骨格はふたつ。淳之介が茶川より小説の才能を発揮して、ペンネームで連載を始める。シリーズは淳之介役の須賀健太君の成長とリンクしなければならないので、設定は高校生。ここから大学進学か、小説家かで悩む淳之介の、茶川家からの独立というエピソードが一つ目の骨格。もうひとつが仕事中に火傷をした六子と、その診察をしてもらった病院で出会った医師との恋愛と結婚だ。

3作目にも出演しようと思った要因は、多くの出演者がインタビューで答えているように、脚本の出来だということからでも分かるように、今回は、その2本のドラマの構成がしっかりとしている。特にいささか吉岡秀隆のオーバーアクトが鼻につく、茶川と淳之介の部分ではなく、六ちゃんの結婚をめぐる展開が魅力的だ。結婚相手の“モテキ男”森山未來の昭和顔も好ましいが、何と言っても六ちゃん役の堀北真希が可愛らしい!昭和の田舎娘の恋するドキドキと、東北弁の訛りがいい感じに混ざって、彼女はこんなにも魅力的な女優だったっけ?と思ったほどだ。

昭和の父親なら、誰しも経験する娘(鈴木オートには実の娘同様)の恋愛に対する戸惑いを、堤真一が見事にコミカルに演じてみせ、トメのポジションにいる三浦友和演じる宅間先生が、静かに昭和の下町人情を語ってくれれば、この映画は大丈夫なのだ。前2作は、どちらかというと、昭和の風俗の中に物語があったという印象だが、この3作目は『バカンス』という言葉や、『みゆき族』というカルチャーも、東京オリンピックというイベントも、物語の中にある。鈴木オートのカラーTVと茶川のモノクロTVの対比も物語のひとつなのである。

東北の被災地での巡回上映は、このシリーズ(と「男はつらいよ」!)が人気と聞く。それは、この映画に描かれている人との絆や人情が、普遍的に人間を励ますことが出来るということの現れだろう。2作目では、結構プレッシャーを感じていたような山崎貴監督も、いい意味で開き直り力が抜けて来た。ここはひとつ「男はつらいよ」のような定期的な製作は望まず、ある時期がきたら作り上げるシリーズ作品にしてはどうだろうか?この物語から6年後の1970年の万国博覧会を時代背景にすることは(時間が空き過ぎ?)充分可能だと思うのだが…。