「運命の人」って、なんで映画じゃないの?

山崎豊子原作の「運命の人」がTBSで放送中だが、登場するキャストの面々に眼を見張るばかりである。いつもの名前の『佐橋総理』の北大路欣也から、主人公の新聞記者に、本木雅弘、妻役は松たか子、そして以下は順不同であるが、大森南朋(競い合う他社の記者)、柄本明真木よう子石橋凌橋爪功松重豊市川亀治郎原田泰造伊武雅刀笹野高史、更に渋いところでは小市慢太郎吉田剛太郎という映画ファンには堪えられないキャスティングである。

またスタッフ側は、同じTBS日曜9時で「華麗なる一族」「官僚たちの夏」と昭和の物語を脚色した橋本裕志、演出は2004年に「いま、会いにゆきます」で映画監督デビューし、「涙そうそう」から「ハナミズキ」新作は「麒麟の翼」の土井裕泰。音楽は映画TV共に、精力的に作品を発表し続ける、佐藤直紀と一流どころの面々だ。これっ、なんで映画にしないのですか?

多くの原作が映像化になっている山崎豊子作品であるが、実はこの「運命の人」は、今まで映像化もなかったので、物語の内容はまったく知らなかったし、原作も読んだこともなかった。よって1972年の沖縄返還にまつわる政府の機密文書をめぐる物語とは知りもしなかった。「華麗なる一族」は銀行、「白い巨塔」は病院、「沈まず太陽」は航空会社といったように、山崎文学は、常に社会的責任を負う、企業なり個人なりの問題を描くことが特徴であるが、この作品は新聞と、そして政府である。

沖縄返還という歴史的事実があるから当然なのだが、時代設定は今から40年前の1972年である。TVというメディアはもちろんあるが、まだまだ活字での報道の重要性があった時代だ。ひとりのヤリ手新聞記者が、沖縄返還にまつわる日本政府の『軍用地復元保証費』の肩代わり(要するに税金)を追求していく過程で、手にした機密文書が巻き起こす、実際の事件をモデルにしたものだ。しかし、これだけのスケールと、社会的テーマの物語が何故映画化作品ではなく、連ドラなのかという想いが頭から離れない。

すなわち「華麗なる一族」を筆頭に「白い巨塔」「不毛地帯」「沈まぬ太陽」と、常に山崎文学は、まずは映画化作品が優先されてきたのだ。特にスポンサーの関係で「沈まず太陽」はTVドラマは無理ということで、映画側がキッチリ作品としたではないか。それだけに、このTVドラマが映画じゃないのが堪らなく惜しいのである。それとも「沈まぬ太陽」のみ別で、現在の映像制作の世界ではTVの方が優先なのだろうか?

こうした見ごたえのある社会派のドラマがTV放送で、TVで“お気楽、ご気楽”で放送されたものが、その後に映画化という、なんか腑に落ちない逆転現象が続いているのだ。TVでは視聴率というハードルがあるが、製作費の回収という作品体位でのハードルがないため、映画より企画にチャレンジできる状況かもしれないが、それでいいのか映画、ということになる。要するに『大人が見る映画』が益々減っていくのだ。その企画力が衰えてはいないだろうか?

はやぶさ」もので、3本も同じ題材(作品の優劣は必然的にあるだろうが)で映画化するなら、もっと違った企画で『大人が見る映画』を作って欲しいのだ。