「50/50 フィフティ・フィフティ」を好ましく感じる理由

インディペンデント・スタジオが作る人間ドラマで、パターンのひとつに、主人公もしくは親しい人間が死んでゆくというものがある。ニュー・シネマ的にラストは『死』で終わることを神格化して捉え、ハリウッド的なハッピーエンドを否定することが、ステータスのように考える傾向がある。最近の洋画でも「永遠の僕たち」だったり「人生はビギナーズ」、邦画も(実話とは言え)「天国からのエール」では、あの頑強なイメージの阿部寛まで癌で死んでゆく。

そうした物語は、作劇のひとつなのだから否定するものではないが、好んでみたいか?と問われれば『否』である。例えば、また阿部寛だが「ステキな金縛り」でも彼が死んでしまうのが、やはり楽しくない。アメリカのミュージカル映画が大好きだが「ウエストサイド物語」(名作だと思うが)が本当に好みかと言われれば、やはりトニーとマリアの死は受け入れがたく、『そうです、本当に好みです!』とは言えないのだ。

「50/50」も予告編を最初に見たとき、癌にかかった主人公の物語と知って、正直あまり見ることに乗り気にはならなかった。癌を克服出来る確立がタイトルという訳。しかし見終わった後の印象は大変よい心持ちとなり、これだったら見られるなと思った。要するに主人公の青年は50%の確率に勝ち、生きられるのだ。ただ、この映画を好ましく感じる理由は、単に主人公が死なないという部分だけではない。治療していく過程の中で、知り合った若き精神科医の女性とラストにセックスが出来るからだ。

そう、この映画は『生きたい』という願望と、『ヤリたい』という欲望が、同列で語られているのがユニークなところ。彼がこれで生き延びたと確信するのは、女医さんを部屋に招き入れ、喜々として“さぁ、やろうか!”というラストシーンなのだ。これはかなり後味のいい鮮やかな幕切れである。この女医さんに扮するのが「マイ・レージ・マイ・ライフ」のアナ・ケンドリックなのだが、「マイ〜」よりずっと魅力的だ!また、この映画の見所は女優陣でもあります。

癌にかかる前に付き合っていた女性とは(その時点でセックスレスだったが)、看病がネックとなり別れる。この別れる女性を演じるのが、ブライス・ダラス・ハワード。彼女はシャマラン監督の「ヴィレッジ」「レディ・イン・ザ・ウォーター」など見ても、まったくソソらなかったのに、「ヒア・アフター」で、突然美しくなって登場したのだった。赤毛でこれだけ魅了する女優は彼女だけだぞ。

彼女の父親は、ご存知ロン・ハワードで、父親の映画以外では、鳴り物入りで「ヴィレッジ」に出たが、お世辞にも美女とは言えず、『親の七光り』がなかったら、役はないでしょ、と思ってしまったほど刺さってこなかった。それが「ヒア〜」とこの映画とも、要するに途中で居なくなる女性を、印象深く演じてくれているのだ。アカデミー賞にもノミネートされている「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」にも彼女は出ていますね。

この映画でもう一人の見応えある俳優は、主人公の親友役のセス・ローゲンだ。彼のフィルモ・グラフィーを見て分かることは、出演がジャド・アパトー系の“おバカさん”コメディがほとんど。「グリーン・ホーネット」も面白かったが、結局スマートな魅力はなかった。しかし、この親友役はイイ!ウルサい男の役という部分は、今までと基本的には変わらないのだが、癌の友人をなんとか女とヤルことで『生』を確認させてあげようとする、ヘンテコな友情はグっとくるのだった。

主人公が癌にかかる、これだけで見るのを止めようと思っていたが、やはり映画はみてみなけりゃ、分かりませんなぁ。