確かに「レオン」+「ボーン」ではあるが、面白い!

どうにも暴力的な韓国映画が好きになれない。評価の高い「チェイサー」の描く、犯人側の暴力の優位性にはついて行けない、ついて行きたくないのである。「悪魔を見た」は復讐劇としてはありなのだろうが、その描写の過激性と女性蔑視の姿勢(そう取れるほどの、連続殺人)は、作品評価とは別に受け入れがたいものが残ってしまうのである。

映画会社勤務の女性から「悪魔〜」が“今年見た映画の中で最低の作品”というコメントも聞いた。その女性がアメコミ映画のスーパーヒーロー好きだということを差し引いても、当然の感想なのではないだろうか。また2作品に共通する韓国の警察組織の無能ぶりを、これでもかと描く姿勢にも『?』を感じる。実際の警察は、これでいいのだろうか?アメリカ映画に慣れ親しんでいる者にとっては、正義ということの描き方に、疑問だらけの韓国映画なのである。

そんな流れの韓国映画界の、昨年のNo1ヒット作が公開された。ウォンビン主演の「アジョシ」である。かつて韓流四天王と称されたうちの一人、ウォンビンのアクション映画だ。まったく韓国映画に興味がなかった(だって「シュリ」が登場する前は、韓国エロスの「桑の葉」しかイメージしない男ですよ)が、仕事で仕方なく、ペ・ヨンジュンイ・ビョンホンチャン・ドンゴン、そしてウォンビンと、なんとか覚えましたよ。すると嫌でも、チェ・ミンシクソン・ガンホン、チョン・ウソン、はてはソル・ギョングまで頭の中に入ってきた。それほど、あの一瞬の韓国映画ブームは凄かったのだった。

2008年に兵役についたウォンビンの、除隊後初の出演映画がポン・ジュノ監督の「母なる証明」と、いわゆる韓流ラブ・ロマンスではなく作家主義の映画だったことに驚かされた。そして、その演技の見事さに惚れ込んだ。この「アジョシ」ではその演技力にアクションもプラスされ、もう言うことなしである。アジョシ=おじさん、というイメージはウォンビンの34歳という年齢では、本当は当てはまらないということらしいが、そのイメージを覆したということだ。まあ、キム・セロン扮するソミという女の子にしてみれば、ウォンビンだって立派なおじさんだろうが。

「冬の小鳥」を見ていなかったので、韓国の天才子役キム・セロンの演技力を知らなかった。なるほど大人が舌を巻くとはこのことだろう。画面に彼女が登場して、世捨て人の生活をしている質屋のウォンビンにまとわりつく冒頭のシーンから、もう驚きに連続だった。しかし彼女を形容する、『韓国の芦田愛菜』はやめてくれ!国際的認知度から言ったら雲泥の差でしょ!

そして、この娘を命懸けで守ろうとする、テシクという名の元特殊工作員(いわば、国家のための暗殺者)というプロットで見れば、これは「レオン」であるが、ジャンおじさんよりずっとクールでカッコいい。また身分を隠す特殊工作員とくれば、そこは当然ジェイソン・ボーンだ。要するに、この韓国映画は世界のアクション映画をしっかり咀嚼して、アジア的なものに見事に変換し直したのである。この姿勢は日本映画がもっと見習うべき部分だろう(と「シュリ」の頃から思っているのだが)。

また臓器売買と麻薬という犯罪を追う警察機構も、この描き方なら納得がいく。やくざ組織を追っていく過程で、その捜査を(ソミを助けようとすると)結果的に邪魔をすることになるテクシに対し“奴は何者なんだ”と捜査を並行させ、テクシを逮捕する展開は、彼を単に女の子を助けるHEROと描かず、リアルな過去を持つ犯罪者としてとらえ、見事なラストシーンを用意するのだった。

ここでも女性の観客の間では、殺しの場面には『引く』言葉も聞かれたが、“守るために闘う結果の殺戮”と、まだ理屈は通っている。それを勝手に実行したのが、映画史的な視点で言えば「タクシー・ドライバー」のトラヴィスと言うことになる。そう、映画はどこかで繋がっているのである。また相手の殺し屋の、人間としての残された倫理観が示される展開は、監督自身の倫理観の投影と感じることも出来、救われるラストであった。

と言いながら、予告編でもあったように戦闘態勢に入ったテクシが、バリカンに髪を刈った後の、その短髪姿のウォンビンがたまらなくカッコいい!こんなにアクションが様になる俳優だとは思わなかった!