ただ単純に『面白かったァ』と言えるって凄いのだ!

前作「MAX」から、本来の(1作目の登場人物たちでの)スタンスに戻したことで、また面白さが甦った「ワイルド・スピード」シリーズであるが、「MAX」シリーズ第2弾の「〜MEGA MAX」は更に面白くなった。今回の舞台はブラジル、リオデジャネイロ。もうアメリカ国内ではドミニク・トレットのやんちゃぶりは納まりきれなくなったということか。

まあ、前作「MAX」のラストで、FBI捜査官であるブライアン・オコナーがドミニクを刑務所への護送の途中で救い出すことを予感させる終わり方だったので、二人して国外逃亡中ということですな。もうオコナーの『走り屋』としての潜入捜査どころでの話ではなくなってしまったのである。

よって話の展開を単なるストリート・カーアクションではなく、ドミニクとブライアンの犯罪映画にしなくてはならなくなった。その方が面白くなると知ったハリウッドは、さらに面白くする方法を持って来た!それはブラジル国内での敵(汚職まみれの国として描ききっている!)を確立し、更に逃亡者となった二人を追いかけてくる(法的には正義の味方)FBI特別捜査官と、ふたつの敵と相対さなければいけなくしたのだ。

この特別捜査官が今回の作品のポイント。要するにキャラ的にも、肉体的にもヴィン(ドミニク)ディーゼルと張り合える役者を持ってきたのだ。その名はドゥエイン・ジョンソン!この二人がガチンコ勝負となることで、単なるカーアクション映画ではなくなったのだ!えっ、「ワイルド・スピード」シリーズってカーアクション映画ではなくなったの?そうです、今回に限って言えば、この映画は『任侠映画』となっているのですよ。

それが、この作品の2番目のポイント。対敵する相手がやがてお互いを認め合った後、共通の敵(リオの犯罪王)に対して『自己防衛と法的正義』を遂行してみせる。このプロットこそが、我が国の東映という映画会社が誇る任侠映画そのものなのである。ヴィン・ディーゼル高倉健としたら、ドゥエインは池部良です!

ブラジルの警察組織さえ牛耳ってしまっている巨悪に対し、諦めるのかと思わせながら、ドミニクだけはその本拠地である、警察署に単身乗り込んでいこうとする。するとドミニクを認めたドゥエイン扮する捜査官が“お待ちなせぇ、あっしも一緒に参ります”となり、最後のアクションに向かう。これこそ東映!ドゥエイン、あんたは風間重吉か!とツッコミを入れたくなるほど「昭和残侠伝」の世界ではないか!ここに拍手しない奴は、映画ファンじゃねぇってことだ。

本当に面白いハリウッド映画は、野球で言えばバットの真芯を喰ったホームランだと思っている。もの凄いいい当たりなのに、それほど手に感触が残らないのだ。それを映画に置き換えると、見終わったあと“あぁ〜、面白かったァ”とたった一言で表わす以外なく、しかし後にはそれほど尾を引かないものである。映画なんて尾を引けばいいってもんじゃない、尾を引かないという言葉は、最高の褒め言葉なのである。2時間強の時間、まったく飽きさせることなく、眼を画面に釘付けにさせるって並大抵じゃないよ。

よく辛気臭い映画マニアが、この映画にはテーマがない、とか、作家性がないとか言うが、ハリウッド映画になんでそれを求めるの?いい例が「ジュラシック・パーク」だ。公開された時に“映像は凄いが、なにも語っていない”とか言っている輩がいて、ビックリした。この映画に凄い映像以外に何が必要なの?その映像革命こそが、この映画の魅力じゃないか、と思った。見終わって『面白い!』以外何があった?結果、その見終わって何も残らない面白さの映画が、映画史の中で残ってしまっているではないか。

ユニバーサル映画は、この「ワイルド・スピード」シリーズをドル箱として、大切にしようとしているようだ。その証拠がラストのエピソード。「MAX」で死んだドミニクの恋人レティの『死の真相』は?そしてドミニクの逮捕を諦めていないドゥエイン(こうなると、二人の関係はルパンと銭形警部みたいだなぁ)に強力な助っ人(あの美女である!)が現れて終わるって、どう考えても「MAX」シリーズ3作目に続くって段取りだ。

「MAX」「MEGA」と来たら次は何MAX?予想としては「ULTRA MAX」なんだけど…。