もしハリウッドが「はやぶさ」を映画化したならば…

かつてハリウッドでは、同じような企画がぶつかった時、別々な映画を作って共倒れの危険を犯すより、共同製作の形にして成功させようとした。今では決して有り得ないワーナーブラザース20世紀フォックスの共同製作の大作「タワーリング・インフェルノ」である。よって、この映画はアメリカではフォックスの作品、日本ではワーナーの印象(ソフト販売権をそうして分担したので)が強い。

しかし、日本ではそうした全く同じ題材でも共同製作する気は更々ないらしい。20世紀フォックス配給の邦画「HAYABUSAはやぶさ」、東映の「はやぶさ」、松竹の「おかえり、はやぶさ 3D」といった具合に、別々の映画にしてしまった。そして先に公開するのが、いわゆる『早い者勝ち』とばかりに、20世紀フォックス版の「HAYABUSAはやぶさ」が現在公開中だ。

この惑星イトカワに行って、サンプル採取に成功し、一時宇宙空間で行方不明になりながらも、見事に帰還した惑星探査機<はやぶさ>自体は、ドラマチックではあるが、物語にはならない。その<はやぶさ>に関わる人たちを描いてこそ映画となりうる。そこは分かるが、でも各社争って作るほどの題材なのか?という疑問は残るが、それはこれから公開される2本を確認してからにしよう。

ここでは、どうせ作るのだったら、またはハリウッドだったら、この映画をこう作るだろうな、と強く感じた部分があったので、そこを書き留めておきたい。なぜならSFではない宇宙空間映画と言ったら、「ライトスタッフ」「アポロ13」「スペース・カウボーイ」のハリウッド映画がスタンダードだからだ。そうして見てきたハリウッド映画だったら「HAYABUSAはやぶさ」は以下のように描くだろう(と勝手に妄想させていただく)。

ファーストシーンは若き日の糸川教授だ。ありきたりだが、画面はセピアでいいでしょ。配役は妻夫木聡あたりか。日本のロケット開発の父という存在として、宇宙への憧れと挑戦に明け暮れる若者をしっかりと描き(掴みはここにある!)、彼の見上げる先の星空をキャメラは映し、またパンダウンすると今度は竹内結子に変わっているという導入部。そこで彼女のナレーション『亡くなった兄に教えられた、あの惑星たちに私も近づきたい』とかなんとか。

このようなファーストシーンを思い描いてしまうのだが、実際の映画は、西田敏行扮するJAXAの教授が、どこかのホールで講演しているカット。それを熱心に聞いているのは竹内結子扮する水沢恵だけという(穏やかな)導入部だ。何故、ハリウッドスタイルのように、最初からグッと引き込むことをしないのだろう。やはりアメリカ人の観客はすぐ飽きるので、最初から見せ場が必要ということか?

物語の展開部分ではない疑問点では、水沢恵という主人公を、なんで『宇宙オタクの不思議ちゃん』に描いてしまうのか?これは監督である堤幸彦の、最大の特徴であるとともに、最大の欠点だとも言えまいか?すなわちこの水沢恵も結局は「トリック」の山田奈緒子なのだ。どうして竹内結子の素の美しさのままの、未来を向いている女性として描かないのだろうか?いや、確信犯的に変なキャラに持っていこうとするのだろうか?これでは彼女が科学者として、博士号を目指そうとするリアリティが、全く無くなってしまっているではないか。結果、彼女はただのJAXAの受付嬢となってしまっている。

上記の部分、ハリウッドだったら若き日のジョディ・フォスターがタイプ・キャストだが、今だったらナタリー・ポートマンだろう。イメージはありだと思いますね。そして女優をしっかりした主人公として描き、その上で核となる脇役を配するだろう。脇を固める俳優は相変わらず、堤映画の特徴として豪華だ。しかし実際の教授のソックリさんの役者が(西田さん、佐野史郎、高嶋兄etc)次々と登場するが、ただ出たり入ったりするだけで、誰も作品を引き締めることはしてくれない。

ハリウッドだったら、佐野史郎の役が「アポロ13」におけるエド・ハリスだろう。ここに脚本の芯を置くべきだった。職員に嫌われるほどの冷徹な指揮官、一人孤立しながらも組織を引っ張って行く男にして、最後に『はやぶさ君!』とポロッと言わせるのだ。また佐野が神社に行ってお守りを貰って来るところは見せ過ぎだ。見せ過ぎの日本映画の典型だ。あそこは神社の前に立つカットと、部屋に飾られているお守りで、彼のキャラクターは充分に際立たせられるのだ。

堤版「HAYABUSAはやぶさ」は(「二十世紀少年」でもそうだったように)多くの登場人物たちで(でも群像劇ではない)時系列で事実をなぞっていくだけである。また確かにはやぶさの動向は、インターネットで見られたようだが、だからと言って電車男を応援するようなキャラを出してしまっては、興醒めとなってしまう。その辺の描写に映画が振り回されてしまっているので、肝心の大気圏突入で残念ながらグッと来ないのだ。

結局、骨太な「はやぶさ」ものの期待は、東映渡辺謙版に委ねるしかないようである。