名曲『メロディ・フェア』の思い出をすこしだけ

何気にTVのチャンネルをいじっていたら、BS-TBSで「SONG TO SOUL 永遠の一曲」という番組で、「小さな恋のメロディ」の主題歌『メロディ・フェア』の誕生の裏側に迫るドキュメンタリーをやっていて、思わず見入ってしまった。そう、ある年代にとって忘がたい作品と主題歌である。主題歌と映画が一体化した作品という意味においては、もっとも記憶に残っている作品といっても過言ではないだろう。

1971年のイギリス映画である。日本の公開は71年の6月だった。しかしこの公開には間に合わなかった。当時は夢中で日本映画、それも東宝の青春映画ばっかり見ている中学2年生であり、洋画への興味は全くと言っていいほどなかったのである。そう、そんな邦画一本槍(それだけ洋画の敷居が高かったのかもしれない)の少年にとっての、洋画への入口が「小さな恋のメロディ」だったのだ。

記憶を辿れば、72年になって間もなくだったろうか、クラスでおませな女子の間で「〜メロディ」が評判となり、一人の女の子が『あなた、トム役のジャック・ワイルドに似ているわよ』と言い出した。「〜メロディ」の中に出てくる主人公ダニエルの親友の悪ガキだ。加山雄三は知っていても、ジャック・ワイルドなんか知らない邦画少年の好奇心に火がついた瞬間だった。『よし、その「〜メロディ」とやらを見てやろうじゃないか!』と決心し、さっそく新聞の映画案内のページを探す(「ぴあ」登場までは、何の映画がどこでやっているかの情報は新聞だった)。

今の新宿バルト9の手前のあたりに新宿京王(地下が付いたかな?)という映画館があり、そこで「フレンズ」という映画と二本立てで上映されていることを確認し、出かける。実は洋画への入口は、予告編を見ていた時から始まっていたのであろう。上映された予告編は次週上映の2本、「卒業」と「わらの犬」というダスティン・ホフマン特集であった。なんか違う!邦画の予告編と明らかに何か違ったのだ。まあ、結局魅入られたように次週も見に行って、洋画に染まっていくのだが、それはまた別の話。

実は、ませた中ボーには「〜メロディ」は刺激が少なく、その点で言えば圧倒的に軍配は「フレンズ」に挙がったのである。しかし使用された楽曲という後年に残る印象として「〜メロディ」は勝り、“歌は世に連れ”の文句の通り、永久不滅の『一時代の一曲と一作』となったのだ。しかし、この番組で紹介されているように『メロディ・フェア』という楽曲が、この映画のために作られたものではなく、すでにビージーズのアルバムに収録されていたこととかは、全く知らなかった。またビージーズというグループに、メンバーチェンジがあったことも知らなかったぐらいに、音楽側には無知のままでした。

番組のインタビューに答えていた(現在の姿に涙!)トレーシー・ハイドが“好きなのは「若葉のころ」の方”と言っていたのが、嬉しかった。同感である。時代と共に残ったのは「〜フェア」の方だが、本編の中での画面と音楽の一体感での美しさで比べたら「若葉〜」の方が優れているし、好きである。そう、それぐらいこの映画はお話より、どの場面と、どの音楽が好き?という感覚で見る(今で言うビデオクリップ)映画なのだった。

多分いま見直してみても、40年前の映画とは思わないんじゃなかろうか。それだけこの映画は新しい感覚に溢れていたのだった。音楽は残っても映画そのものは残りづらい現代にあって、この『両方残っている感』は素晴らしい。それは日本だけじゃないようで、初めてアメリカに行った時(25年前ですけどね)外人の前で「〜フェア」を何気に英語で口ずさむと、それまで英語は話せない日本人として敬遠されていたのに“なんで英語は喋れないのに、英語の歌は唄えるんだ?”と不思議がられ、打ち解けることに成功。こちらは(アメリカでは不発な映画だったので)「〜メロディ」が知られていたことが嬉しかったが、あちらの反応はそれ以上だったという笑い話。

といった按配に「小さな恋のメロディ」にまつわる思い出は尽きない。もし中学生の時にこの映画に出会わなかったら、本当に洋画を好きになっていたか、また映画そのものを見続けていたかどうか疑わしいほどである。

そんな甘酸っぱい歌を唄っていたグループが78年になると、派手なディスコサウンドで一世を風靡とは思ってもみなかったし、未だに繋がらないのは私だけでしょうか?