結局は黒澤明の影響下だということ。

「ノー・カントリー」でハビエム・バルデムを見た時の驚きはなんと形容したらいいのだろう。本当にこんな殺人鬼がいたらと思うと“おっかねぇ”という恐怖が賞賛を呼ぶってどういうこと?と感じたのだった。本国スペインでの出演作をほとんど見ていなかったので、こんな役者、どっからやって来たの?と突然目の前に現れたとしか思えなかった。

その「ノー・カントリー」でのオスカー受賞の威力は大きく、その後の出演作は「それでも恋するバルセロナ」「食べて、祈って、恋をして」と立て続けに大きな役のハリウッド映画出演となる。もうあの殺人鬼の姿はなく、セクシーなスペイン男を気持ちよさそうに演じていた。そのバルデムの新作が「ビューティフル」。ここにはセクシーな男は存在せず、死を覚悟した男だけであった。

まぁ、昨年の映画賞のいくつかでハビエムが、主演男優賞を獲得したことぐらいは知っていたが、それ以外は無知の状態で見る。映画が中盤に差し掛かったぐらいか、『あれっ、これって黒澤の「生きる」じゃないか?』と思った。死を覚悟した男が、『死ぬための準備』に悪戦苦闘する様は、死ぬことに対する悲愴感を感じさせないほど、整理整頓に追われるの姿を描くのであった。

ハビエムは「生きる」の志村喬ほど老人役ではなく、若くして癌に犯されたために、自分がいなくなった後の(特に子供のこと)ことを考えざるを得ない。これは「生きる」同様、死ぬ前にはこうありたいという願望が共通して描かれているのだった。またハビエムのワンマン映画でもあることも、「生きる」(志村のワンマン映画ですからね)と同じであった。

そこで、黒澤明の「生きる」に思いを馳せる。初めて見たのが黒澤どころか、日本映画の真の凄さそのものを全く知らなかった中学生だった。場所は今の新宿バルト9の手前にあった新宿京王地下という映画館。とにかくつまらなかった。分からなかった。シンドかった。映画にいつもカッコよさを求めていたのだろう。そのま逆な作品が面白く感じる訳がない。中学生じゃ無理だったのである。

そこから何年たったであろう。BSで連続放送した『黒澤明特集』だったか?たまたま目にした序盤のお通夜のシーンで、通夜の客が、主人公の志村喬演じる渡辺課長の思い出を語り始めた場面から、もう画面に釘付けになってしまったのだ。「生きる」こそ、作品の構成はもちろん、撮影と照明、演技などなど本当に完璧な映画であったことを、初めて見てから30年以上経って思い知ったのだった。

映画を理解するのに、ある程度の年齢が行かねば、人生を経験しなければならないと、先輩からよく言われたが、「生きる」の凄さを分かった時、それはこういう事だったのだと理解出来たのだ。そこには誰でも楽しめる「用心棒」や「隠し砦の三悪人」とは別次元の映画があったのだ。

これだけ見事な作品ともなれば、やはり世界の映画界に与える影響は多大で、この「ビューティフル」もちゃんとクレジットで「IKIRU」と表記があったから、おそらくインスパイアされたといった意味のことを表しているのだろう。また天下のハリウッドでも、少し前にトム・ハンクス主演で「IKIRU」の映画化と報じられた。無謀かもしれないが、やはりチャレンジしてみたい題材なのだろう。

黒澤作品はこれからも世界の映画の端々に、その影響を見てとてることが出来るだろう。日本映画もそれを恥じることなく(変なリメイクではなく!)“影響されました!”映画を作るべきではないだろうか。