「コクリコ坂から」の楽しさと難しさ。

1963年の横浜を舞台にしたスタジオジブリの新作「コクリコ坂から」は、ジブリの特徴である、ファンタジックなお話とはかなりかけ離れている。それが宮崎駿自らの監督作品であるかないかは別にして、今まで製作されてきた映画は、いわゆる人間世界の現実の物語ではなかった。「トトロ」「ポニョ」「ゲド戦記」「アリエッティ」などなど、空想の世界を描くことで、人間社会へのメッセージを発信し続けていたのである。

確かに「耳をすませば」は、雫という中学生の日常を描いたもので一番「コクリコ〜」にテイストは似ているが、バロンという雫が書いた小説の主人公が登場する幻想的な場面は、ファンタジックなものだった。しかし「コクリコ」で描かれる世界は、すべて現実のものであり、更に主人公の海と俊という少年の出世の秘密と、戦争の影が描かれたりとけっこうヘビーである。

興行成績も、いささか苦戦を強いられていると聞く。そりゃ、そうだろう、今までジブリの主要顧客層である、子供からファミリー層には(恋愛の部分を除けば)まったく無縁なバンカラ学園ものなのだから。そう言い切ると語弊があるが、そこが一番面白かったので…。

作品の第一印象は『これは、ジブリ版「青い山脈」だなぁ』だった。

どう見たって、海ちゃんと俊は「青い山脈」の寺沢新子と六助でしょ。生徒会長とカルチェラタンの哲学の住人を合体させると、六助の親友ガンちゃんになる。海の妹、空は若山セツ子のイメージである。友人S氏の「これは日活青春映画に対するオマージュなのだ!」という解説も、それほど日活青春映画を見ていないので(せいぜいバンカラのイメージから「けんかえれじい」)、まずは「青い山脈」だった。

要するに、そんな古い作品が根底にある、時代設定が48年も前のものでは、どうしても観客は限定されてしまうのは仕方がない。普遍的な人間の愛と友情の物語であることは分かるが、今の若い観客は『で、それでどうしたの?』という感想のほうが強いだろう。サントリーのCMソングとしか思っていない「上を向いて歩こう」が流れてきて、“この時代!”と言われても無理でしょ。ガリ版での新聞発行に、涙が出るぐらい懐かしさを憶える世代だったら、大いにのめり込めるのだが。

また、この舞台となる63年から、たった6年ほど後に巻き起こる学生運動(ここから「マイ・バック・ページ」に繋がるのだ!)を大いに予感させる、カルチェラタン存続争議の、体育館での大論争場面(素晴らしい!)などに見入ってしまう人がどれだけいるのだろうか?実はここから、皆して行うカルチェラタンの大掃除の場面が、この映画の白眉なのですよ!

出世の秘密の件は、『おいおい、ジブリがなんで大映TV的な展開を見せなきゃならんのか?』と思ってしまったほど、不似合いに映ってしまった。この話の流れでもいいが、もう少しジックリとエピソードを積み重ねて行くべきだったと思う。モダンなカルチェラタンの話と戦争の傷跡である、出生の秘密の物語の同時進行は無理があったのではなかろうか。

この映画が見事な点は、日本が戦争を引きずりながらも、最も元気があった(そりゃ、翌年オリンピックですからね)時代であることを、若者の群像を借りて描いたところだ。その素晴らしいチャレンジ精神には拍手なのだ。

しかしながら、もしかしたら脚本家とプロデューサーの(ご年配二人の)思い入れだけのパーソナル映画だと思われる危険性も相当ある、難しい映画なのである。