松本人志監督「さや侍」への戸惑い

世界のキタノになる以前の事。お笑い芸人ビートたけしが突然映画監督になった。公開された作品は「その男、凶暴につき」(1989)。当時、勢いのあった松竹の名物プロデューサー奥山和由が、話題性優先で作らせてみたんだろうという先入観の塊で見た。衝撃以外の何物でもなかった。そこにビートたけしは居なかった。映画監督北野武が居たのである。

描きたかったことは、バイオレンス。人間の持つ凶暴性には、犯人も刑事もないという図式なようなもので、笑いのかけらもなく、ひたすらストイックな映像に眼を奪われた。それは、異業種映画監督の最高峰が登場した瞬間だったのだ。その北野武から数えて18年後、よしもとのお笑い芸人、松本人志が「大日本人」で映画監督として登場する。

映画は監督の描きたいものであれば良い。その観点で見れば「大日本人」はストーリーに左右されない、松本人志監督の世界が構築されているものだった。それが、オリジナルビデオで作ったコント集的なるものにしか映らなかったとしても、その存在は松本人志の監督としての意志の反映が見て取れた。こうした姿勢は第2作の「しんぼる」にしても同じだ。作品の内容が、深夜番組のバラエティの域を出ないとしても、作家が描こうとする『画』がそこにあったのだ。

ところが監督第3作目の「さや侍」は困ったことに、『これが、本当に松本監督が描きたかったものなのか?』と思わざるを得ないのだ。予告編でも見ても分かるように、いままでの作品に比べて、最も物語のある映画となっている。日本映画の父と呼ばれるマキノ省三の製作モットーである“1・スジ、2・ヌケ、3動作”(ちょっと映画を勉強すると必ず出会う格言ですね)が一応盛り込まれている作品だった。そう、いままでの彼の映画は、それを無視したスタンスで出来ていましたね。

刀を捨てた、鞘だけを腰にぶら下げた侍が罪人になり、捕まった藩の藩主の幼い息子を、30日間の間に笑わせられたら無罪、笑わせられなかったら切腹という裁きに合う。若君は母を流行病で失ってから、笑わない少年となってしまったのだ。しかし、このプロットでは、話はそうは拡大しない。結局は笑わすための大道芸のオンパレードの展開となり、物語は転がらない。唯一、さや侍の娘たえが城の中の、若君の寝室の潜り込む展開が話が転がる程度だ。

さや侍が、または監督が最も面白いと思っている(と聞いている)の野見隆明が、懸命に若君を笑わそうとするパフォーマンスをすれば、するほど映画館の客席は静かになるばかりだった。そう、観客は笑うべきところで笑えないことに戸惑っているのだ。やはり観客が松本人志監督に求めるものは、笑いである。しかし、この映画は変に物語があり、変にシリアスである部分が邪魔をして、コメディにも、普通の時代劇にもなれなかったのだ。

なんか松本監督が映画に対して迷っているような印象だった。製作に関し、他人の意見に耳を貸しすぎて、監督自身の軸がブレている感じがするのだ。この感じは少なくとも前2作には感じなかったものだ。後半の展開はやろうと思えば「ロッキー」となったのに、そうしたカタルシスのある展開は、『らしくない』として避けた、もしくは照れたとも受け取れるのだ。その辺の不安定が見えてしまい、画面からは『俺はこれがやりたくて、この映画を撮ったんだ!』が伝わってこなかった。

その一点比べてしまうと、終始一貫してバイオレンスにしても、お笑いにしても、やりたかった事はコレ!を突き付けて来る北野武監督との、大きな差を感じてしまった「さや侍」なのでした。