ザック・スナイダー、どうしちゃったの?

メイン・ビジュアルだけを見る限り、いかにもクールでカッコイイ、さらに金髪の可愛い女の子が出てくるという映画に思えて、期待は膨らみますよね。ところがアメリカ公開の批評がまったく良くない。これまで「300」ウォッチメン」と順調にヒットを飛ばし、キャラを積んできたザック・スナイダー監督なのだから、そんな訳ないだろうと「エンジェル・ウォーズ」を見てみた。

なるほど、これではアメリカの観客には受けないだろうとよく分かった。問題山積の映画だな。まず、ワーナーブラザースを配給として、全世界を相手にして作品を提供しなければならないのに、なんとターゲットを狭くしていることか。その狭さは、ハッキリ言えばゲームやアニメ世代にだけ向かっているオタク映画ということ。ザックって、そんなにオタクだっけ?

オリジナルの脚本家が日系の人のようで、やたらとジャパニーズカルチャー色が強い。もうそれはウォチャウスキー兄弟やタランティーノがやり尽くしたでしょ。まずはベイビードールの武器となる刀、ありゃどう見てもルパン三世斬鉄剣でしょ。それを彼女に授ける件は「キル・ビル」だ。その刀を授ける、訳もわからん男がスコット・グレンなんだけど、デビッド・キャラダインに極似だ。グレンも歳とってきて本当によく似てきたが、デビッドが生きていたら、彼にキャスティングしたに違いない。

その斬鉄剣で闘う相手の鎧姿の巨人は、とっくにテリー・ギリアムが「未来世紀ブラジル」でやっているネタではないか。それぞれの映画に対するオマージュでもなんでもなく、ただ場面ごと切り貼りした絵図ばかりで、オリジナル性に欠けている。街へ突っ込む列車の空中のレールを走る姿は、どう見ても「銀河鉄道999」じゃないか!

ベイビードールの(結局それは見せない)男を魅了するダンシングで、妄想シーンとなるが、その中身も、ザックの“俺が女の子だけで「マトリックス」やるとこうなるんだ、凄いだろ!”という声が聞こえてきそうなだけで、確かに(一番陳腐な褒め言葉)『映像だけは迫力あって凄いよね』となる。女の子の相手となる兵士から血が出ず、現実の人間じゃないからというゲーム感覚丸出し。「ロード・オブ・ザ・リングス」系の獣人もまた一緒の考え方。

オープニングの継父と対立して銃で妹を殺してしまい、雨の中精神病院と言う名のロボトミー施設に、ベイビードールが入れられるまでのカットは、セリフなしの映像だけで見せ切っていて、なかなかの滑り出しだった。ところが、その後の物語の語り口がなっていない。どれだけ金髪やアジアの、生唾ものの姉ちゃん達にレオタード着せて観客を挑発しても、肝心の物語の部分がダレてしまっていて、妄想内でのアクションにしか興味のない監督であることがばれてしまっている。

結局のところ監督はガールズアクションの場面だけにこだわり、そのため自分の妄想をベイビードールの妄想に転嫁しただけである。この映画を評した映画仲間のD・K氏は『ザック版81/2だね』と言い切った。当たっている。最大の問題は妄想の中のアクションが、現実の精神病院(実は売春宿)の脱出劇とまったくリンクしないこと。ガールズたちが必死になって逃げ出すアイテムを獲得していく課程が全く活きてこず、サスペンスが盛り上がらない。それは現実の脱出劇に妄想アクションが何の関係もなく、ただその場面を監督が作りたかっただけだからだ。

本当のハリウッドアクション映画を作りたいなら、ガールズたちの必死の(現実のダンス&サスペンス)工作の末、見事に全員脱出して、悪役のブルーや市長をブチ殺すべきでしょ。それを現実の世界で、あっさりと5人のうち3人のガールズたちを殺す展開にしてしまうのは、アクション映画の持つカタルシスを監督が否定しているからだ。それはインディーズ映画でやってよ!

また最後には、好みの問題になってしまうが、まったくベイビードール役のエミリー・ブラウニングに魅力を感じない。もっと目元がキリッとした女優でなければ、リーダーとしての説得力がない。アマンダ・セイフライドじゃだめだったのか?むしろスィートピー役のアビー・コーニッシュの方が存在感ある。しかしもっと問題なのは、これだけの作品なのに、名前のある俳優をキャスティングしていないことだろう。マダム・ゴルスキーはニコール・キッドマンに演じてほしかった。そこにも監督の『役者』=『人間』に興味を抱いていないことが現れていると言えまいか…。