「ザ・ライト」は正統的エクソシスト映画

アンソニー・ホプキンスの「ザ・ライト」は“エクソシストの真実”と副題があるように、しごく真っ当なエクソシスト映画になっていて、もっと胡散臭いと思っていただけに、逆に拍子抜けしてしまったほどだった。しかし、今でこそ誰しも『悪魔憑き』に対して『祈祷師』=エクソシストと知っているが、ウィリアム・フリードキン監督の「エクソシスト」が公開されるまで、一般認知はされていなかった。

ところが73年末に全米で公開されるや、爆発的ヒットとなり、今で言う社会現象となったため、あっという間に『悪魔払い師』=エクソシストが認知された。現在のように全米公開と日本公開が同時期ではなかった時代、「エクソシスト」の日本公開は74年7月だった。高校2年生の映画ファンとしては待ちきれない半年以上だったわけだ。

少しでも映画の情報が欲しくて、銀座にあった洋書専門店『イエナ書店』で「エクソシスト」を特集していた英語版『ニューズウィーク』を買って、辞書を片手に1ページほど読んで挫折。結局、日本に入ってくる情報の“失神者続出”とか“恐怖のあまり途中退場”とかの話を聴きながら、期待に胸膨らませていたのだった。

公開直前ブームの仕上げは(近年は当たり前の)映画の出演者の来日だった。悪魔に取り憑かれる少女を演じたリンダ・ブレア(若い人はもう知らないでしょう)だ。まだ成田空港が開港していない時代、来日スターはすべて羽田に降り立つわけである。親父の一眼レフカメラを借りて、来日スターを写真に撮ろうと思い立つまで、そう時間はかからなかった。

今も手元にある写真を見ると、報道陣に囲まれ花束を抱えたリンダが写っているその隣に、なんと当時のアイドル林寛子(その後、黒澤久雄夫人になる)がいるではないか。マスコミ向けのアイドル女優のツーショットというやつである。リンダは公開初日の舞台挨拶も行い、笑顔を振りまいた。現像した写真をなんとか本人に直接渡したいと、初日の旧丸ノ内ピカデリーに潜り込むも、ガードが固く結局ワーナーブラザースの関係者に(当時の日本支社の代表の人だったと思う)舞台下から渡すのが精一杯という甘酸っぱい結果に終わる。

実はこの羽田に行けば、スターの写真が撮れると知ってから、来日スターの追っかけ撮影が始まったのである。その後『激写』させていただいたのは、ソフィア・ローレンジュリアーノ・ジェンマジョディ・フォスター(「ダウンタウン物語」の時で、まだ子供)、羽田以外の場所で撮影に成功したのは、ナタリー・ドロン、シドニーローム、スーザン・ストラスバーグ(隣に写っているのは若き日の戸田奈津子さん!)の面々でした。羽田に張ったのに撮れなかったのはカトリーヌ・ドヌーヴアラン・ドロン

話を戻そう。この「エクソシスト」のヒットでオカルト映画ブームも到来、多くの超常現象映画が作られたが、ちゃんと悪魔払いを描いたのは、結局この作品だけだった。「ザ・ライト」はそれ以来といってもいいんじゃないか思う本格的エクソシスト映画だ。やはり今一、キリスト教でなきゃ実感がわかない部分もあるが、絶対的信仰がないまま祈祷師の勉強を始めた若き神父の苦悩と成長が描かれ、その師匠役がアンソニー・ホプキンス

なにが怖かったかって、祈祷師であるホプキンスも悪魔に取り憑かれてしまい、その様はやはりハンニバル・レクターにしか見えなかったことでした!