「アメイジング・グレイス」に見る映画の宣伝術

『200年の時を経て今明かされる、名曲誕生の秘められた感動の実話』、この文言は映画「アメイジング・グレイス」の宣伝文句である。もし事前にこれを読んだ観客は、ビジュアルポスターと共に、何を感じて映画を見に行くのだろうか?本田美奈子の歌唱で一般的に認知が広まったこの楽曲の、その作られた裏側の物語で、作曲家か作詞家の話だと思って映画館に行こうと思ってしまうだろう。

かく言う自分もそのひとりだった。だから本編見てみてビックリ!音楽の映画なんかではなく、なんとイギリスの奴隷貿易を廃止しようと頑張る議員さんの奮闘の物語ではないか!

まぁ、そもそも自分が無知なのであるが、アメイジング・グレイスという楽曲の成り立ちを全く知らなかったので、この歌の作詞は、奴隷運搬船の船長によって書かれたものという事での映画の中身との関連性も知らなかったわけである。しかし、映画そのものの宣伝文句で、その奴隷貿易廃止の物語に触れないでいいのか、という疑問は残ったのだ。

振り返れば、映画の宣伝ほど作品の内容と伴わなくても許されてしまうメディアはないであろう。“今世紀最大の問題作”“世紀の超大作”“全米を震撼させた恐怖”などと挙げればキリがないほどの刺激的な文言を掲げてみせるが、それらが内容と全く違っていても、それは個人の感想に過ぎないということになる。

それは映画とは、10人の観客には10人のそれぞれの感想があるという趣向性の強いものだから仕方がない事だ、と映画が産まれてから今まで、皆が暗黙の了解のように容認してきたことなのだ。よって上記のような宣伝文句を並べて、それが内容と異なっていても、『誇大広告』として問題になるようなことはないのだ。

ただ、それは現代のように情報の伝達が速くなかった過去の話ではなかろうか、と思う。あっという間にすべての情報が伝わってしまう現代は、そうした宣伝効果は発揮しにくくなっているはずだ。そう、隠せない時代なのだから、最初からすべてを伝えてしまったほうが良いと思うのだが、この映画はその逆を今の時代にやったことがユニークと言えばユニークなのが…。

よって、この映画の興行的弱点は、一言でどういう映画か、と言い表せなくなってしまっているところだ。200年前の奴隷貿易を廃止しようとする一人の男の感動の実話、という簡単な一言を封印して楽曲の知名度に頼ったのだ。作品自体がしっかりした内容であるが故に、見ている最中から『何故、この中身を知らせないの?』と違和感が残って仕方がなかったのである。