「ランナウェイズ」と70年代

伝説のガールズ・バンド名をそのまま映画のタイトルにした「ランナウェイズ」は、1975年のL.Aを舞台として始まる。この映画にのめり込めるかどうかは、この時代をリアルタイムで通過しているかどうかで、かなり差が出るのではないだろうか。それだけ、このガールズ・バンドの登場は衝撃的だった。

自分の年齢にこの1975年をあて嵌れば17歳である。そんな血気盛んな若者の前に、突然コルセット&ガーターベルトの金髪の姉ちゃんが現れ“チェリ〜・ボォ〜ム”と大股開きで歌われた日にゃ、これほど刺激的なことはあるまい。まあ、ジャパン・ツアーでTV出演したのが実際は77年なので、19歳であったが金髪大好きのティーン・エイジャーを直撃したことに変わりはない。

よくもそんな衣装で日本のTV出演が出来たもんだと思うが、突然そんな姿が『お茶の間』に飛び込んできたんですよ、そりゃあガーターベルトフェチになっても仕方ないでしょ。そう、音楽ファンから見れば、不謹慎なことだろうが、ランナウィズに対する興味はサウンドがどうの、では全くなくひたすらイヤらしかった衣装の、ヴォーカルのシェリー・カーリーのみであった。

自分の記憶違いなのかもしれないが、『チェリー・ボム』という楽曲のタイトルからか、彼女をチェリー・カーリーと日本のマスコミは紹介していたのじゃなかったっけ?今みればジョーン・ジェットだって充分イイ女と思うが、当時は金髪絶対でしたので、まったくジョーンに対する興味はなかった、というより名前すら知りませんでした。

そうした不純な感情ではあるが、一応その時代をリアルタイムで通過している者であるがゆえに、この映画は限りなく愛おしいものになっている。残念ながら舞台がL.Aのどのあたりかが、はっきりしないが、そのファッションも含め、70年代のL.Aの持つ猥雑な雰囲気もちゃんとまき散らして、時代の空気感がしっかり描写されていると思う。

川本三郎原作、山下敦弘監督作品「マイ・バック・ページ」でもそうであったが、ある一時代を切り取って描かなければならない映画に必要なのは、その舞台となる時代の空気感である。そこに、その時代を一言で表す象徴的物体(「三丁目の夕日」の東京タワーが一番分かりやすい例か)、重要な台詞、またはファッションを盛り込み、観客をタイムワープさせるのである。

大量の小銭をレジカウンターの上にばらまき、ジョーンが初めて革ジャンを買うシーン(この場面はイイ!)の店の雰囲気などはよく表現されている。ロックは革ジャン、そして男のものといった時代の感覚だ。その後ジョーンがいかにスージー・クワトロをリスペクトしてるかの場面では、スージーが本当に、この時代の孤高の女ロッカーだったことをちゃんと表している。

またシェリーが日本の宣伝用に(篠山紀信でいいのか?)きわどい写真を激写され、その本を見たジョーンが怒って言う台詞、“ポルノ女優みたいなことしやがって!”は字幕でそうなっているが、実際の英語ではちゃんと“リンダ(ファッキン)ラブレイス!”と言っている。そう、彼女こそ、伝説のハードコアポルノ映画「ディープ・スロート」の主演女優であり、当時のポルノ女優の代名詞なのである。それをちゃんと台詞に盛り込む、ただそれだけで時代の一瞬を切り取れるのである。

映画館に来ていた女性客で、やはり当時の音楽シーンを知ると思しきロックなおばちゃんがいて、彼女がジョーンを演じるクリスティン・スチュワートの写真を見て、まぁ、ジョーンにソックリ!誰なの?この女優さんは?と言っていた。このおばちゃんにはクリスティンが「トワイライト」の主演女優だと知る由もない。また知っていても一瞬は分からないだろう。

ひとつの当たり役を得ることによって、その俳優のイメージがこり固まってしまう危険性がいつも付きまとう。「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥールがよく引き合いに出されるが、シリーズ作品などは更にその危険があり、ショーン・コネリーもボンドを演じている最中から嫌がったのも、それを知っていたからだ。

クリスティンはショーン・ペン監督作品「イントゥ・ザ・ワイルド」でもギターを弾く少女で登場したが、今回はその比ではないほど、ギターに歌に、正にロッカーの姿であり、そこに「トワイライト」のカケラもない。このチャレンジは素晴らしい事で、今後のクリスティンの可能性を大いに感じさせるのであった。