ずっと注目していたレイチェル・マクアダムス!

恋とニュースのつくり方」の主演女優レイチェル・マクアダムスは一般的には、そう名前が知られた女優ではないだろう。2004年の「きみに読む物語」のジーナ・ローランズの若き日を演じた女優さん、と言うとなんとか伝わる程度だ。彼女の名前を知ったのは事実、この映画からだ。しかし主演ではないので、知名度が広がりはしなかった。そのレイチェルにまつわるエピソードをすこしばかり。

ある時(2年ぐらい前かな)、業界関係者に連れられてガールズ・バーなるところへ行った時のことである。キャバクラではないので隣に女の子が座って飲んだりはしないが、カウンター越しに話すことは出来る所だ。目の前にいた女の子が(女子大生のバイトだったかな?)『私、映画が好きでよく見るんだけど、男優より女優のほうが好きなの!』と言ってきた。

まぁ、映画の話となれば無視することは出来ないので、『へぇ〜、どのへんの女優さんが好きなの?』と聞くと『言っても絶対知らないでしょ、レイチェル・マクアダムスっていう女優』と来た。内心“へぇ〜、この娘いい趣味してるなぁ”と感心したが、気付かれることなく『ああ、「きみ読む」(すいません、略してしまったのです!)の人ね』と軽く流して答えたところ、『えぇ〜、どうして知ってるの?初めて判ってくれた人がいた!』と大感激された。

その大感激を利用して、その先、その娘となんとかなったかというと、全く何もなく一方的にレイチェル談義を持ちかけてしまったのである。結局彼女は「きみに読む物語」という(アメリカ的韓流のお涙頂戴の決定版だからね)泣ける映画が好きなだけで、他のレイチェルの映画を見ているわけではなかった(なぁ〜んだ)。だから思わず、バリバリの主演映画で「スクリーム」のウェス・クレイブンが監督した「パニック・フライト」が面白いよ!などとオヤジの講釈となってしまった。

実際、この「パニック・フライト」はお薦めで、やり手のホテル・ウーマンのレイチェルと、そのホテルに泊まる要人を狙う暗殺者の男とのガチンコ一騎打ちなのだ。彼女が深夜フライトの飛行機に乗って、その男と隣り合わせになるというサスペンスが見事。原題は「RED EYE」(お酒ではありません)で、深夜フライトの飛行機をこういうのだそうな。夜空に浮かんだ飛行機は確かに赤いですからね。そう、映画はこんなことも教えてくれるのだ。飛行機の中のサスペンスはジョディ・フォスターの「フライトプラン」があるが、それより絶対面白いでっせ!

この暗殺者に扮するのがキリアン・マーフィで、かなり怖い役だ。しかし、レイチェルとキリアンと言われても一般知名度はなく、結局ダイレクトDVDとなってしまった。しかし発売元の角川がプロモーション試写をやるというので“フィルム上映でやってください!”と必死でお願いしたら、ちゃんとフィルムだったのですごく嬉しかった。

実はレイチェル、この映画もそうだし、アメリカで大ヒットした「ウェディング・クラッシャー」にも出てるが、これまた未公開。2008年に出演した2本の映画も未公開とこの時期、『未公開の女王』(と勝手に呼んでいた)であった。ようやくラッセル・クロウGONZO新聞記者に鍛えられる、新米女新聞記者に扮した「消されたヘッドライン」で再び注目され、その後、見事「シャーロック・ホームズ」のアイリーン・アドラーという大役を射止めるのだった(「2」にも出るようでなにより)。

では「恋とニュース〜」が、「プラダ」同様の」傑作かというと、そうもいかず、レイチェル扮するベッキーという名の若手プロデューサーが、低視聴率の朝のニュースバラエティ番組を立て直そうとする話が、いささか乱暴な作りで話が散らかってしまっている。その散らかりの象徴的存在がハリソン・フォードダイアン・キートンという二人の大御所。

プラダ」の成功はメリルとアンの二人の丁々発止が、魅力的だった。しかし、この映画では大御所が演じる古株キャスターに挟まれた形になって、どっちつかずの展開にイラっとするのだ。もったいないのだ。いい場面が結構あるのに、今ひとつ弾けない。これが今のアメリカ映画の水準なのかもしれないが。

ただひとつだけアメリカ映画の懐の広さを感じたのは、ベッキーの母親役にパティ・ダーバンヴィルを起用していたこと。見ていて思わず“似ているけど、このおばちゃんがあの「ビッグウェンズデー」の娘かぁ?”と思ってしまったが、嬉しかった。ナタリー・ポートマンがオスカーに輝いた「ブラックスワン」にも、あのバーバラ・ハーシーが恐怖のステージママ役で出ている。このように80年代に活躍した女優さんたちに、きちっと役をオファーしてくれる、このリスペクト精神は流石だ。

「恋とニュース〜」の原題名は「Morning Glory」。これは1933年に、かのキャサリン・ヘップバーンがオスカーを獲得した「勝利の朝」と同名タイトルだ。ブロードウェイ女優の栄光を描いた「勝利の朝」とは全く内容は異なるが、働く女性を描く部分では一緒なので、基本同じタイトルはダメだが、これは許せる。レイチェルとハリソンの二人が、これから出勤する、ラストシーンの場面が、タイトルイメージを表現していたのだ。

こうして、ずっと注目してきた女優が大御所相手に主役を張る様を見るのは、なんとも心地よく、自分の眼は確かだったと自己満足の果てに、ニンマリしてしまうのであった。