「完全なる報復」は「狼よさらば」じゃなかった。

家宅侵入の悪党に妻と子供を殺された男が、法の手を借りずに殺人犯に対して復讐を遂げる。「完全なる報復」のプロットを簡単に記すと、こういったものだ。感の良い映画ファンなら、こう聞いただけで74年のチャールズ・ブロンソン主演の「狼よさらば」を思い出すだろう。いわゆるブロンソンの「Death Wish」シリーズ第一弾だ。

多くのコアなファンを持つ、この「Death Wish」シリーズのユニークなところは正統的な続編で製作、公開されていながら2作目が「ロサンゼルス」3作目が「スーパー・マグナム」4作目が「バトルガンM-16」とひとつとして『続』とか『PART2』とかつくことがなく、全く違う邦題で上映されたことだろう。なんでそんな事態になったかは知らないが、今だったら続編売りがすべてなんだから、有り得ないことですよね。

作品のパターンは、法の網目をすり抜ける悪党は『俺が成敗してくれる!』というたった一人の正義、そして闇の処刑人の活躍というものだ。人道的には有罪だが、法では裁かれない犯人を個人が裁く(殺す)というプロットは他にもあって、代表作ではレイプされた女主人公が裁判では無罪となってしまった犯人をブチ殺すマーゴ・ヘミングウェイの「リップスティック」あたりか。

完全なる報復」も妻と子供を殺されたジェラルド・バトラーの個人としての復讐劇だが、その復讐は劇中の序盤に果たされてしまう。しかし映画が加速するのは、それからで、そこが「狼よさらば」系の映画と決定的に異なる点で、この映画の見どころになっているのだ。その展開に関わってくるのが検事役のジェイミー・フォックスというわけ。

この検事が事件の“有罪率”を上げて出世したいという野心から、二人の殺人犯の一人にいわゆる司法取引を持ち掛ける。要するに罪を認めて事件の解決に協力させる代わりに罪を軽くしてやるという、よく犯罪映画で見かけるアレである。事件の被害者であるバトラーが裁判を望んでも、叶えられず裁判所も司法取引を認め、取引をした殺人犯のひとりは短期の服役(こいつが極悪人)、もう一人は死刑(ほんとは無罪な青年)となる。

被害者が裁判を望んでも、無罪になる可能性があるため、この検事は取引で有罪を獲得して、ポイントを稼ぎした結果となる。何で被害者の意志が尊重されないのかは、よく分からないが、ともかくバトラーの怒りはこの司法取引に関わった者たちに向けられ、殺人犯への復讐を果たした後は彼らがターゲットとなる。しかし、バトラーは最初の復讐であっさり捕まり自供して(この自供もベッドとかステーキとかとの取引で、皮肉たっぷりなのだ)拘置されているのに、次々と復讐を果たしていくのだ。

この復讐に協力者がいるのかどうかがミステリーとしての味わいである。復讐自体は小型のロボット戦車で発砲したり、女性判事は携帯に仕掛けた爆薬で頭をぶち抜いたりと結構エグイ。刑務所内で殺人を犯し、独房にいるのに、何故ターゲットが次々殺されるのか?後半はこの謎にジェイミー・フォックスが立ち向かう。なぜなら最終的なバトラーの復讐は彼だから。

この映画がユニークなところは、復讐の相手が司法取引という法だというところ。フォックスはその代表的存在にすぎない。ラストに向かっての展開で激突する男ふたりという構図は、監督のF・ゲイリー・グレイはお手のものだろう。なんたって、あの「交渉人」の監督なんだからね。言っとくけど米倉涼子でも真下正義でもないですよ。98年のケヴィン・スペイシーサミュエル・L・ジャクソンの傑作サスペンスでっせ!凄腕犯罪交渉人が無実の罪を着せられた危機に選んだ行動は、立てこもり犯となり、もう一人の凄腕交渉人を呼び付けることだった!

その「交渉人」と比べると、いろいろ脚本の穴がある「〜報復」だが、それにちょいと目をつぶっておけば、楽しめますよ!