「ヒア アフター」、この柔らかい語り口はなんなんだ!

クリント・イーストウッドネルソン・マンデラの次に選んだ映画の題材は、死者の言葉を聞ける霊媒師のお話、と聞いたとき誰しも『これってイーストウッド向きの話なのだろうか?』『そんな胡散臭い題材をどうするの?』などなど、かなり懐疑的な感想が多かった。

しかし、出来上がったものを見て、今更ながらに凄い監督だと思知らされ、その脚本選びが実は正解だったことを知る。そして「インビクタス」以上に物語を語る手腕の見事さ、語り口の柔らかさに感嘆させられたのだった。

オープニングのワーナーブラザースのロゴに被るアコースティックギターにグッと引き寄せられます。そして導入部に津波のシーンを持って来て観客を釘付けにしてしまうのです。その津波臨死体験をしたフランス人のマリーがひとり目の主要人物。ここからはもう穏やかなお話の進行に身を委ねるだけでいいのです。

この映画の主要な登場人物は3人。あとはサンフランシスコで自分の霊媒能力を呪われたものとして、極力他人との接触を避けようとするジョージという青年。もう一人はロンドンに住む双子の兄を事故で亡くしたマーカスという少年。この全く違う場所にいる三人が、実はこれから前を向いて生きていくために、お互いを本当に必要とし、探し求めた末に出会うまでの、いわば心のロードムービーなのだ。

霊媒が金儲けになると知っているジョージの兄は、ビジネスにしたがるが、ジョージは“他人に事を知りすぎる不幸”を分かっているので、それを拒否する。本当の異能は決して幸せではなく、臨死体験を本にしたマリーも、専門家の博士(なんと、まぁマルト・ケラーを起用)に“体験を明らかにすることで困難が待ち受ける”と言われる。

そう、この映画は他人と違うことで襲ってくる不幸は、そうした違う者同志の出会いによって最高の幸福に転じられるまでを描くのだが、裏を返せばその出会いがなければ、悲劇が待っているとわかる。しかし、最近のイーストウッドはその悲劇性よりも、出会うことでの幸福なラストシーンを選択してくれるから、心地良いのである。

このラストへ向かうマリーとジョージの出会わせ方(そこに計算されたように、またピアノとギターだ!)が本当に上手く、前半に撒かれたそれぞれの細かなエピソードが、すべて生きてくるのだ。本当の霊媒師を求めるマーカス少年が一生懸命ネットで様々な霊媒師を探していく過程は切ないけれど、笑ってしまう場面。しかしそれがあるから、なんとかジョージに会いたくでホテルの外で待つカットが生きるのだ。

またジョージが料理教室で出会ったメラニーブライス・ダラス・ハワードってこんなに綺麗だったっけ?)に頼まれたことを断れずに触れてしまって、彼女の不幸な過去を知るエピソードが最も重要。これがあるからマリーに最初に触れるカット(津波に襲われたマリーを見る)が生きてくるというわけだ。

それらの話が淡々とではあるが、濃密に、そして柔らかく流れるように展開するその語り口はなんて見事なことか!さらに今回はいつものように画面が暗くて(「インビクタス」が明るかったので)良い!もちろん撮影はいつものトム・スターンが担当だ。

さらに臨死とか来世とかの話となると、今の特撮技術を使って、その場面を描きたがるものだが、この映画はそこに踏み込まなかった、それがまた見事!凡庸な監督ならマーカス少年への言葉の場面で、死後の兄のジェイソンを登場させるだろう。しかし、イーストウッドはそれはすでに地下鉄の場面の、帽子が不自然に飛ばされる『画』で見せているので必要なくなっているのだ。

また津波や、地下鉄での事故のような場面を盛り込み、現在地球が抱えている問題である、環境破壊や、テロ行為(そう言い切ってはいないが、ロンドンの地下鉄なら)などにも、さり気なく触れているところも見逃してはなるまい。

こうして今回も見ごたえのある映画を作ってくれたイーストウッドであるが、いったいいつまで作り続けられるのか?キネマ旬報に掲載されたインタヴュー記事で、100歳を越し、いまだ現役のポルトガルオリヴェイラ監督(ちゃんと知っているんだ!)を引き合いに出していることから、今後も映画製作に励んでくれそうだ。

近年のアメリカ映画の不出来な作品に出会う度に、もしクリントがいなくなったら、その先はどうなるんだ、と不安だらけだ。あと何本見られるか分からないが、次回はディカプリオを主演にエドガー・J・フーバー(FBI長官として歴史に名を残している!)の伝記映画だそうな。時代的には「チェンジリング」が近い。

今から楽しみで仕方がないぞ!!