コメディエンヌとオスカーと・・・

映画が音を持たない時代から、コメディというジャンルはアメリカ映画では西部劇と並んで、大衆に歓迎されていた。そのサイレント時代のコメディとは、俳優の体を張ったアクションで笑わせるスラップスティック・コメディ。代表的な俳優はバスター・キートンハロルド・ロイド、そして初期のチャップリンですね。

やがてトーキーの時代になり、もちろんハワード・ホークスエルンスト・ルビッチのように台詞で笑わせるコメディも登場するが、より大衆に親しまれたのは、更に音楽が付くミュージカル・コメディというジャンル。本来ミュージカルは(まぁ、「ウエストサイド」登場以前と言いますね)コメディでもあったのですね。よって今でもゴールデン・グローブ賞には、ドラマ部門とは別にコメディ・ミュージカル部門があるのです。

この時代のコメディで有名な役者で、直ぐに名前が挙がるのがマルクス兄弟ボブ・ホープビング・クロスビーとかになるが、結局みんな歌も唄うのでミュージカルスターとしての認識のほうだったりする。愛すべきマリリン・モンローもコメディやらしたら絶品の女優なのだが、やはり歌い手として知られる。

よって、これは全くの私見だが、ミュージカルが衰退して、本当にカタカナだけで(それまでは喜劇と表する方が強かったでしょ)コメディというジャンルで語られる映画で、代表的な女優が(これをコメディエンヌと言う)登場したのはゴールディ・ホーンからだと思っている。

彼女も「サボテンの花」(オスカー獲得!)やスピルバーグの「続・激突カージャック」でのコメディ以外70年代がある。そしてハリウッドのコメディの歴史を変えたと勝手に思っているほどの、80年の傑作コメディ「プライベート・ベンジャミン」でコメディエンヌクィーンの座を獲得したのだった。

こうして、ハリウッドの現代に繋がるコメディエンヌの系譜が始まったのだ。次に登場したのが「トップガン」のチョイ役で注目された後「インナースペース」のマーティン・ショートの相手役を経て89年の「恋人たちの予感」で大ブレイクするメグ・ライアン。そしてこのメグが登場したことで、コメディの前に『ラブ』もしくは『ロマンティック』の文字が付き、略して『ラブコメ』とか言うようになる。

「プリティウーマン」で登場したジュリア・ロバーツは、そうした冠を拒否して様々な役に取り組んだ結果「エリン・ブロコビッチ」でオスカー獲得になる。一方「スピード」でアクション場面以外の部分をさらっていったサンドラ・ブロックは(あくまで印象だが)ひたすらコメディで揉まれた(不作も多数ありですね)結果「しあわせの隠れ場所」でオスカー獲得と、それぞれのキャリアの経過の違いが面白い。

そして、その後に続いているのがキャメロン・ディアスとゴールディの娘であるケイト・ハドソンリース・ウィザースプーンという構図か。ジュリアやサンドラとは全く違ってキャメロンは最もオスカーには無縁な立ち位置であるが、最も楽しませてくれる女優で、それは「ナイト&デイ」や「グリーン・ホーネット」を見れば一目瞭然だ。ケイトは「NINE」で唄えるところを示したので、ミュージカルへの方向性なのか?

なぜ、こんなに長くコメディエンヌの事を書いたかというとリース・ウィザースプーンの新作「幸せの始まりは」を見たから。リースはコメディではない(というかコメディでは受賞できない)「ウォーク・ザ・ライン」でオスカーを手にしてしまったお陰で“オスカーの呪い”にやられているんじゃないかと思える一人。あのヴィンス・ヴォーンと共演なんかした「フォー・クリスマス」は未公開に相応しい不出来さだった。

2001年から2003年にかけての「キューティ・ブロンド」2作と「メラニーは行く!」の頃の勢いはないが、相変わらずのアゴと唇が魅力的であった。またグラマラスな魅力もこの「幸せ〜」にはあり、リースだけは見ていられた。しかし、作品自体は残念ながら退屈で中途半端なロマンティック・コメディだ。

相手役のポール・ラッドという役者に全く魅力がなく、リースの相手役には無理がある。そこで製作陣はオーウェン・ウィルソンを持ってきてバランスを取ろうとし、さらに監督のジェームズ・L・ブルックスの頼みを(助演と主演のふたつのオスカーをもたらしてくれたから?)断れなかったとしか思えないジャック・ニコルソンの起用となっているが、物語が崩壊していては、どうしようもない。

オーウェンかポールかの二人の男の間で揺れる、全米ソフトボールチームを外された選手というリースの設定だが、このソフトボールに対する思いをしっかり描いたスポーツコメディにしたら成功しただろうに!やはりリースは“オスカーの呪い”にかかっているに違いない!!