面白くなかった「ソーシャル・ネットワーク」

まもなく発表の今年のアカデミー賞で「英国王のスピーチ」と共に本命の呼び声が高い「ソーシャル・ネットワーク」は、個人的な感想で言うと、まったく面白くなかった。自分が持っている、その作品が面白いかどうかの判断基準は、いかに主人公、もしくは主要な登場人物たちに、どれだけ感情移入できるかどうかだと思っている。この映画は誰にも感情移入は出来ず、嫌な若者たちの姿を延々見せられるだけだ。これではどうしたって面白いとは言えないだろう。

はやくも2011年度の『最も面白くなかった映画』(ワースト・ムービーという意味ではない)に決定でしょう!

ラストシーン、二年目の女新米弁護士がマークという青年に「あなたは嫌な男ではないわ」という台詞があるが、全く嘘臭くやってられませんな。この青年はファーストシーンから一貫して嫌な奴ではないか!相手の気持ちを思いやることも出来ない欠陥人間のくせに、エリカに振られたことに逆ギレして『クソ女』とネット上に書く奴のどこが「嫌な男ではない」だ。

そう、この映画はファーストシーンから、この嫌な男をず〜っと見ていなければならないのだ。こんな苦痛なことはないぞ!さらに、映画的メリハリがあるのならまだしも、それも無く、ただひたすらアイデアを自分のものとして、成り上がっていく様を羅列して見せるだけではないか。それは物語ではなく、検証だろう。だからどれだけの成功者だとか、金持ちだとか説明されても、そうなんですねとしか言いようがないのだ。

この青年は80年代だったら“ナーズ”の典型で、最もモテナイ男として、キャンパス内でアメフト部の筋肉バカの奴等に虐められる存在でしょう。それがオタクと呼ばれはじめ、ひとつの秀でたジャンルを持ってデジタル時代が到来したことで、これほど持て囃されるようになった。そう見ると近代アメリカ年代史の象徴的人間像とも言えるのだろうが・・・嫌だ!

また演出方法も、かつて親友だった青年との訴訟と、もうひとつの発案者と思える兄弟との訴訟とを並列して描いた作劇法に疑問を感じさせる。ファーストシーンから時間軸どおりで描いていながら、訴訟の場面を突然挿入しては映画が混乱するばかりではないか。この部分を観客が整理整頓していく間に、映画はどんどん観客を置いていくばかりである。

こんなにフィンチャーってダメな監督だっけ?まあ「セブン」や「ファイトクラブ」も観客に媚びることのない、心地よい映画を努めて作ることはしない監督だったことは確かなので、ある種フィンチャーらしい映画でもある訳か。兄弟が負けるボートレースの、凝ったフォーカスの使い方が唯一の見応えある場面だったな。

問題は、そんな面白くない映画をオスカーに選ぼうとしてるアメリカ映画の現状だ。もし28日の発表でこの映画がウィナーとなったら『そこまでアメリカ映画は病んでしまったか!』と思わざるをえないぞ。ハリウッドが得意としたエモーショナルな感動の物語はどこへ行ってしまったのだ!それとも『今』を映し出すのが映画であり、その意味で「ソーシャル〜」がもっとも『今』と言いたいのか?しかし、作品は見ていないが、予告編を見る限り、どうやらそうした感動は「英国王〜」や「ザ・ファイター」が与えてくれそうだぞ。

という訳で、ここは「英国王〜」をはじめ他の作品に頑張ってもらって、ひとつのオスカーも「ソーシャル〜」へは行かないよう願うばかりである。