「ザ・タウン」2度目も堪能!

一年間に1、2本気に入った映画は2回見ることがある。昨年だったら「トイ・ストーリー3」で1回目は2D字幕、2回目は2D吹き替えだった。昨年の東京国際映画祭のクロージング上映で見ていた「ザ・タウン」は、そうしたお気に入りの1本だった。そしてようやく公開となったので、新宿ピカデリーの溜まっていたポイントを使って2回目の「ザ・タウン」を楽しむ。

本当に好きなタイプの映画だなぁと改めて思いましたな。まず最初に舞台となる街があり、そこに住む人間たちが居て、犯罪とアクションが展開され、恋愛と友情がキチンとした起承転結の元に描かれるという映画の基本姿勢が、ちゃんと出来ているのだ。それは映画史の中の記憶に残る作品に当てはめて考えられる『基本』と言ってもいい。

例えば、トラヴィスという屈折した人間が、ニューヨークという街にへばり付くように生き、歪んだ恋愛感情の果てに暴力行為に走る。例えば、フィラデルフィアに住む三流ボクサーでしかなかったバルボア青年は、たった一回のチャンスに周りの人々に励まされつつ栄光と愛情を獲得する(この2本、分かりますよねぇ)。ね!作品のジャンルは違えども、この基本の上で映画が作られているのは明白ですよね。そして、そこがブレていない映画は、やはり心地よく堪能出来るものなのですよ。

監督第2作目となるベン・アフレックは、この基本をスピーディなカット割りで小気味よく見せてくれる。その手腕は未公開に終わった初監督作品「ゴーン・ベイビー・ゴーン」をDVDで見た人から、すでに聞いていた。自分自身はまずはスクリーン鑑賞が前提のため、未見のままだったので、この映画で初めてベンの監督としての技量に驚かされたのだった。このまま監督業に精進していけばイーストウッドになれるかどうかは別として、オスカー監督の座も夢ではないだろう。

ベンが愛してやまない街ボストン。犯罪の街として描いていながら、その街に寄せる愛情が感じられる。それでいながら、この街を出て行かなければ、人生をやり直せないと分かっている男を主人公とし、あたかも「あしたのジョー」でドヤ街から出ていくのが“あした”としたような複雑な感情を描き出す。感心するのは、そこに出てくる人間たちの顔がみんなイイということ。ファーストカットの現金輸送車の警備員の顔からして見とれてしまう。

これはイーストウッド映画でも語られることだが、映画の成功の大部分はキャスティングにかかっているとも言う。破滅に向かう親友役のジェレミー・レナーはもちろん、『花屋』の二人の顔(追悼ピート・ポスルスウェイト)、FBIの顔、銀行の副支店長までと、いかに配役に神経が配られているかが分かる。特に主人公を取り巻く二人の女がイイ!ベンは女を見る目がありますなぁ。女優にうるさいウディ・アレンも起用した女優レベッカ・ホールのキャスティングは大成功であるし、「ゴシップ・ガール」というTVドラマでは絶対演じられない役に挑戦したブレイク・ライブリーも魅力的だ。

そしてメジャーリーグファンなら一度は行ってみたいボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークの内部が映し出され、その売上金強奪計画と、日本映画なら決して描けない(だって東京ドームだったら映画化拒否でしょ)物語の展開に驚いてしまう。さらにそこに繰り広げられる銃撃戦の迫力と、映画が持つ映像の力で物語を語ってくれるのだ!

話はいささか逸れるが、この物語を語るをいうことが、どれだけ映画の根源であるかが、全くわかっていない日本映画に出会ってしまった事が最近あり、久しぶりに怒り心頭になってしまった(作品名は書きません!)。物語を語れないのに、あたかも語らないことを作家のスタイルのように見せて悦に入っている作品だったのだ。これはコメディなの?SFなの?ホームドラマなの?そんな日本映画を「ザ・タウン」と比べること自体「ザ・タウン」に失礼なのだが、映画は誰に向かって作られるべきなのかを、この監督にもう一回ちゃんと考えて欲しいと思ったのだった。

それはさて置き、「ディパーデット」よりはるかに見応えがあったこの映画が、ほとんどオスカーノミネートに引っ掛かっていないことに大いに不満なので、ここはジェレミー・レナーに頑張ってもらって助演男優賞をさらっていって貰いたいものである。