憧れ続けて40年、カトリーヌ・ドヌーヴ様!

昨年末に「隠された日記」「クリスマス・ストーリー」と立て続けに出演作が上映されたカトリーヌ・ドヌーヴは今年の10月22日(私と一日違いが自慢!)が来ると68歳になる。その2本は結局封切では見なかった。かつて70年代にアラン・ドロン共々正月映画の女性向き作品は彼女の出演作で、一流ロードショー館で上映されることが当たり前だった。

まぁ、フランス映画自体が大きな興行を目指すタイプの作品ではなくなった(ミニシアター登場と符合する)時点で、ほとんどの作品が単館公開となっていき、自然とドヌーヴ作品が公開されても足が遠のいて行ってしまったのが、見なかった理由になってしまうだろう。

カトリーヌ・ドヌーヴは70年代のフランス映画のアイコンというべき大女優である。なんか大女優というと畏れ多い(インタヴュー嫌いも含めての印象)という感じを受けるが、それは92年の「インドシナ」でオスカー候補になって以降のこと。それまでの(彼女の80年代の代表作でもある82年の「終電車」以前)彼女はヨーロッパを代表する金髪ゴージャス系の美人女優のTOPという位置で、そんなにオッカナイ女優じゃなかった(作品からの印象ですが)のだ。

リアルタイムの封切り作品では中学三年生の時に見た「ひきしお」(旧日比谷スカラ座)から。ちょうど、その頃リバイバル上映も盛んだったので、すぐに「シェルブールの雨傘」(新宿武蔵野館)「昼顔」(新宿ロマン劇場)「ロシュフォールの恋人たち」(旧新宿ピカデリー)を追いかけられ、名画座を駆け巡って「ロバと王女」(名画座時代のテアトル新宿)「暗くなるまでこの恋を」「城の生活」(旧文芸座)「うたかたの恋」「別離」(今は無き大塚名画座)「幸せはパリで」(ギンレイホール)などなどの過去作品を見まくったのだった。

当時、28歳の彼女は最も美しかった(作品内容はともかく「恋のマノン」はびっくりするくらい綺麗だった)時代。惚れた女と結婚出来るかと思うのは男の本能、14歳の年齢差だったら結婚は出来るかもしれないとアホな考え(妄想ですな)に脳内は占拠された日々でした。中学3年の修学旅行の小遣いは、芳賀書店発行の『シネアルバムカトリーヌ・ドヌーヴ』購入に消えた。

若い頃はそんなドヌーブを最も好きな女優と堂々と言えない自分がいた。周りの若者たちは「小さな恋のメロディ」のトレイシー・ハイドだとか、アイドル的な女優ばかりが興味の対象だった時代。そんな中、大人の女優が好きだなんて恥ずかしくって言えなかった。ようやく恥ずかしげもなく“ドヌーヴが好き”と言えるようになったのは40歳を過ぎてから。ところがもう周りがもうドヌーヴを知らなくなっていて“誰?”となる笑い話が付いてきた。

しあわせの雨傘」を監督したフランソワ・オゾンは現在43歳で、おそらく「終電車」から「インドシナ」といった80年代のドヌーヴに惚れたのであろう。主役ドヌーヴ、相手役ジェラール・ドパルデューとくればそうであろう。オープニング・クレジットを見て、なんか70年代のタイトルロゴの出し方だなぁと見ていたら、1977年という字幕。ああ、そうかこれは70年〜80年代に活躍した彼女へのオマージュ映画なのだとすぐにわかる仕掛けだった。実際最後に選挙に勝ったスザンヌ(役名)を囲む人々はスザンヌを囲んでいるんじゃなく、ドヌーヴを囲んでいる画となっているじゃないか!

雨傘工場経営者夫人のスザンヌが夫が病気したことで、代わりに工場経営を立て直して行き、自立心に目覚めていく物語で、そこに息子と娘(この娘に子供がいるのでスザンヌはおばあちゃんなのだ)、若いときに一度寝てしまった現市長(ドパルデュー)などが絡んで、最後に議員にまでなってしまう展開。

劇中にフランスでの70年代ヒットポップスが流れ、市長とのデートでディスコに行き踊る場面は、正にサタデーナイト・フィーバーの時代ならではだ。登場人物たちの衣装もきっちり70年代していて抜かりなし。そしてスザンヌも若い時には、市長をはじめ、何人もの男と浮名を流している設定に、いかにもの国民性を感じさせてくれて、久しぶりに古きよきフランス映画を楽しんだのだった。

ドヌーヴのヘアスタイルも、いかにも若き日の彼女がしていたスタイルで、思わずそのいまだ豊かな金髪ともども見とれてしまった。作品内容以上に、一人の女優の大ファンであり続けていて本当によかったなぁと実感できる幸福な映画でした。