「人生万歳!」はウディ・アレンは遺言か?

恵比寿ガーデンシネマの休館(と思いたい)前の作品として上映されたウディ・アレンの「人生万歳!」を結局、ガーデンでは見ることをしなかった。それほどに、渋谷から駅1つしかないのに恵比寿という土地は、あんまり映画を見に行くぞ、という感覚にならない場所なのであった。

そもそもミニシアターが大いに流行った時代は、そこに行かなければ見られない映画という立ち位置が存在していた。ところがシネコンの時代となり、ちょいと行って、なんかやっている中から選んで、気軽に見れなきゃ映画館に行く必要はないという意識が産まれたのである。

よってシネコンのスクリーンのひとつで、本来ミニシアター系の映画であるタイプの映画もかけざるをえなくなり、当然客はそちらへ流れてしまうという構図が、残念ながら出来てしまったのだ。これが単館映画館の相次ぐ閉館の最大の要因だろう。

ウディ・アレンという監督はひたすらそのミニシアターにフィットする作品を作り続けているアメリカ映画監督だ。要するにアメリカ映画といってもハリウッド側の監督ではなくニューヨーク派の監督。有名なエピソードは「アニー・ホール」オスカーを受賞しても式には出席せず、その時刻には、ニューヨークのパブ(ライブハウスみたいな所か?)でクラリネットを吹いていたというやつだ。アカデミー賞はあくまでハリウッドのお祭りで、自分には関係無いというスタンスですな。

当然作りだす話もニューヨーカーのせせっこましい生活描写が限りなく愛しい「アニー・ホール」や「マンハッタン」「ラジオデイズ」というハリウッド大作とは無縁の映画となる。よって大きな興行にはなりようがないので、単館公開となってくる。恵比寿ガーデンシネマでも何作彼の映画を公開したことだろう。

「マッチポイント」からニューヨークでの製作を一旦お休みしていたアレンが久しぶりに本拠地ニューヨークを舞台にして作ったのが、この「人生万歳!」。主人公のボリスは20年前だったらアレン本人が演じているであろうと思われる、シニカルで自殺願望のある中年の学者。そのボリスの家に飛び込んできたのが家出娘がメロディで、なんと歳の差が離れた結婚生活となる。そこへメロディの両親が(南部から)次々にやって来て大騒動。しかし両親共々ニューヨークでの生活で本来の自分を発見、開放されていくのだった。

それだけ南部の生活環境やSEXへの意識は抑圧されているのか?と思わせる展開で、ニューヨークならさもありなんと思わせる母はコラージュ&写真家として男2人と共同生活(ベッドも一緒)を始め、父は酒場で出会った男に、ようやく自分がゲイであることを告白できるという具合だ。ボリスとメロディの不自然の夫婦にも、本当にマッチしたパートナーが見つかってメデタシ。

アレンほど自分を客観視して、そのすべてを作品に投影する作家はいないであろう。ここでもその本領発揮という以上に、あと何本作れるか分らないことを自覚しているように、自分の人生感、女性観、SEX観などを告白している。それは見方によっては彼の遺言と受け取ってもよいほどだ。

相変わらず、台詞が気が効いているなぁ。ボリスがメロディをメラニーと言い間違えると“それは「風と共に去りぬ」でしょ”とメロディが言えば“あんなつまらん女は嫌いだ、スカーレットのほうがビッチだけどイイ”というようなやり取りがあり、アレンの相変わらずの映画愛を感じさせる。

まぁ、もう次の作品も出来ているようなので、我々はもうしばらくはアレンとイーストウッド(「ヒアアフター」の次がエドガー・フーバーの映画なのかな?)の映画を堪能させてもらえるようである。