「ばかもの」は金子修介監督向きの題材か?

90年代に大活躍した金子修介監督は、2000年代に入っても東宝ゴジラものの他「あずみ2」とか「デスノート」2作とか、ジャンルにとらわれない作品を、コンスタントに発表している。前作「プライド」も公開規模が全く不遇ではあったが、見ごたえたっぷりの得意ジャンルであるガールズムービーとなっていた。

その金子監督の新作「ばかもの」は題名通り登場人物が“ばかもの”だらけの映画で、いささか金子監督が演出するべき題材であったか?と思わざるえないものだ。描いている内容はSEXとアルコールとオウムネタと身体障害者とくれば、これはむしろ園子温監督あたりが際どく描くのが正しいのでは、と思ってしまうのだ。

まず、主人公の青年に何人の観客が感情移入出来るであろうか?年上の女に(内田有紀)たぶらかされてSEXの味を覚えた上、捨てられたまではよくある青春映画としよう。その後のこの青年のアルコール依存症の描写の数々はかなりシンドイ。年上の女性のせいでアルコール依存症になったとしたら、もっと彼女への想いを描くべきだが、それがないまま酒ばっかり飲んでいる。

依存症のまま付き合い始めた女教師(白石美帆)も中途半端に登場して消えていくだけ(このくだりの青年の有様に良い感情は持てませんな)。結局ダラダラとこの青年が何時立ち直るのかを見せられているだけ。また、青年と幼なじみの女の子のオウムネタもさっぱり意味不明。そもそもこの女の子の役っていりますか?

結局、終盤近くなって最初の年上の女が事故で片腕を失っていることを知ってから、多少見どころが出てくる。“お風呂で右手を洗って欲しい、そして右の腋毛を剃って欲しい”という台詞に、左手を失った彼女の哀しみが見事に表現されている。また彼女と再会する前に、彼女が飼っていて青年になついていた犬が死んでしまった訳(青年の身代わり)のくだりはぐっとくる。

このように良いシーンも数々あるのだが、ダメ男を主人公にして、その周りに女の子がいるという(中華料理の店の女の子もそうだ)題材は、女子を主人公にした佳作(「1999年の夏休み」「毎日が夏休み」「プライド」などなど)が多い金子監督に、本当に向いていたか?となってしまうのだ。

現代青年のリアルな日常(SEXもアルコールも)の映画と言えるが、だとしたら、それは金子修介という監督には求めてはいませんよ。

こんな青年像では、再会後に『ちゃんと結婚しよう』となるが、このラストシーンの後、絶対この青年はまた酒飲んで彼女を不幸にさせるだろうなぁと思わせるなぁ。まぁラストシーンのその後を連想させるという意味においては語る部分がある映画とも言えるが…。

ただ相変わらず金子監督の女優に対して目配せの見事さには、惚れ惚れしますね。今回は大人の女としては内田と白石を、女の子の部分は中村ゆり、そして内田演じる額子の母親役に古手川祐子さんという大御所を器用(この母親役が一番の見所かも)という絶妙のブレンド。作品内容とは別の部分で女優を魅せる技というものを堪能させてくれた一編でした。