前の「トロン」は見てないけど・・・

初めて劇映画にCGを起用した映画として記憶される「トロン」の続編が今頃になって作られた。「トロン:レガシー」と言うタイトルとなって最新のデジタル映像&3Dで、話も前作の20何年後という設定だ。と言いながら前作は見ていない。おそらく予告編は見たものの、バイクに乗って光の道を直角にカーブするバイクの映像を見て、“これは趣味じゃないなぁ”と思ってしまったのだろう。

そんな訳で掟破りの前作未見のまま、「〜レガシー」を見てみる。まぁ、これだけ見てもストーリーは分かる作りになってはいる。昔、コンピューターの中の世界に入ることに成功した父は、そのまま行方不明。しかし今になってポケベルで連絡があり、成長した息子が親父を探しに、古びたゲームセンターからコンピューターの世界へ飛び込むという冒険ストーリー。

早い段階からのディズニー側からの宣伝文句は、見たこともない新しい映像…云々だったと思うが、ハッキリ言って『どこが??』という印象だ。前作の製作当時は、コンピューターの世界に人間の意識(肉体そのものも)が入るという発想はたしかに新しかっただろう。しかし、その後「マトリックス」や「アバター」が登場、そんな発想は当たり前の時代になってしまっているではないか。

よって3D効果も含め、展開されるアクション場面(こんなに少ないの?)も含め、逆に使い古るされたようなパターンに終始してしまっている。話しそのものからして、ディズニーお得意の『父と息子の絆と息子の成長物語』じゃないか(ディズニーに限らずアメリカ映画が一番好きなパターンだ!)えっ、見たこともないって、どういうこと?という感想は当たり前でしょ。最後は普通の脱出劇にしかなっていない。

その脱出劇ですら、例えばそのコンピューターの世界を宇宙空間に浮かぶデススターとして、脱出口(ポータルだっけ?)へは単なる飛行船(これはファルコン号か!)、それを追いかける小型戦闘機軍団、それを機銃砲で撃退って「スターウォーズ」じゃないか!脱出する方法も全く意味不明、説明不足。時空を超えるためにデロリアンが必要、という「バック・トゥ〜」のような明確さが最も求められるというのに…。

そんなだから、こちらの世界に戻ってくる瞬間の場面すらない。助けた味方の女の子(といってもプログラムなのだから寝ること出来んぞ!)は何故こちらの世界にいるのかも不明。乗っ取られた親父の会社を取り戻すカタルシスもなく終了。唯一の救いは白いボディスーツのナビゲーターの金髪女性がGOODだったことだけっす!でもディズニーじゃ、あれ以上エロくできないよなぁ。

今のジェフ・ブリッジスで、若い時代の二役も作れてしまう映像は凄いと(少し)思うが、すでに「T-4」であったし、何よりジェフが喋っているコンピューターにまつわる台詞、本人が理解しているとは全然思えないのだ。だって落ちぶれたカントリーシンガーが最も評価されオスカー獲得した人ですよ。

まぁ、ジェフはこの失敗を次の「トゥルー・グリット」(コーエン兄弟、初の1億ドル映画!)ですぐ取り返したからいいけど、ディズニーにはしばらくこの手の映画には取り組めない痛手、というほかないですね。