祝!拡大公開「キック・アス」
「キック・アス」がプリント数を増やし、またデジタル上映館も増やし、公開規模を拡大となった。まあ、こうなることは公開前の盛り上がりを考えれば、想定内であるが、まずは喜ばしいところだ。
アメリカ公開時の騒ぎを敏感に感じ取った若い世代(この世代の次の興味を示す映画は「ソーシャル・ネットワーク」と言えば分かりやすいか)が映画秘宝を中心に、いったい何時公開なのだ?と騒いだ。ローカル・アクイジションに四苦八苦している映画会社は、こういうところがダメでこれを獲得できない。
結果CCCが配給。渋谷シネセゾン以外の劇場営業をブロードメディアに任せた形でスタート。規模を考えれば初日、2日が全回満席も当然の結果なのだった。
それで肝心の映画は面白いか?と言われれば個人的にはまぁまぁという程度だが目新しさがあるから勝ちといったところ。しかし展開と描写にはタランティーノの呪縛が随所に見てとれ、またなのかよ!という感想にもなる。「ビッチ・スラップ」でもそうだったが、どうして脚本の構成だけでなく、いわゆるテイストをタランティーノ風にしなきゃらんのか不思議でならない。
「キック〜」の場合はバイオレンス描写、既製の音楽の使い方(マカロニ・ウエアスタン風というやつだ)だけならまだしもヒットガール(クロエ・モレッツの活躍は2011年もありますよ!)が女子高生風セーラー服で敵の陣地に乗り込んでくる様は明らかに「キル・ビルvol1」のゴーゴー幕張でしょ。こんなのはオマージュでもリスペクトでもなく単なる真似にしかすぎない。
その後のヒットガールが敵の銃弾に晒され身動きできないカットは、ただ撃っている場面とよけている場面だけだ。ここで必要なのはヒットガールの弾をかわしながらの“あいつ、何やってんだよ早く助けに来いよ!”という台詞だ。あんだけ彼女にダーティワードを言わせておいているのだから、ここで毒づきを入れないのが不思議でならない。
要するに、危機一髪での助けるタイミングが悪い。いかにマカロニばかり見ていて往年のジョン・フォードの西部劇あたりを見ていないかが分かる。またアクション映画だったら「リーサル・ウェポン」あたりのアクションと笑いのバランスを取り入れればぐっとコクが出るのに、全くその辺が無視という状態が気にかかるのだ。結局ガイ・リッチー系の監督らしいがガイも元をたどればタランティーノだからなぁ。
この監督マシュー・ボーンはまだ全くの未知数で(これで3作目、最初の「レイアー・ケーキ」は見たが、2作目の「スターダスト」は見ておりません)、これはアイディア勝ちではあるが監督の映画にはなってない。
アイディア勝ちのプロットの例としては、通常ビッグダディはあんなに簡単には死なないでしょ。むしろヒットガールが死んでビッグダディが『自分の復讐心を満足させる道具として彼女を育てたことに後悔』して最後の決戦に挑むというパターンが従来のハリウッド映画だろう。そこをぶっ壊し逆転させたことは面白いが、それは監督の技量ではなく脚本での発想がよかっただけ。
ラストも従来のハリウッド映画であれば、キック・アスがもっと父性を発揮してラストにビッグダディの替りになるような展開にするだろう。それも無視したことが新しくもあるが、逆にカタルシスを無くしてもいる。そのどちらを支持するかは好みの問題とも言えるが、たぶん2回は通用しないと思いますよ。
一方、青春映画としての部分で見てみれば、見事な及第点で、ダメ男子でも彼女をゲットできる「ナーズの復讐」や「アメリカン・パイ」をDNAにするハリウッドコメディの伝統は守られているのが嬉しい。
この暴力描写ではメジャーでの製作が無理という以前に、メジャーテイストを否定している映画でしたね。