「ノーウェアボーイ」を見て、エルヴィスを想う

今はほとんど言わなくなってしまったが、映画のジャンルに『伝記映画』というのがある。その伝記の中にさらに音楽アーティストの波乱万丈の人生を綴る的なものがある。古くはアル・ジョルスンの「ジョルスン物語」、ジェームス・スチュワートの代表作でもある「グレン・ミラー物語」などがある。自分のリアルタイムの映画史ではダイアナ・ロスが演じた「ビリー・ホリディ物語」からかな?

ロックン・ロールの時代からもジェリー・リー・ルイス役をデニス・クェエイドが演った「グレート・ボール・オブ・ファイヤー」やルー・ダイヤモンド・フィリップスの「ラ・バンバ」(リッチー・バレンス)、未公開に終わったゲイリー・ビジーの「「バディ・ホリー物語」などが映画化されている。しかしここ数年は、コレっているいうものがなかったが、この映画はけっこう見れましたね。

ビートルズに思い入れがないので(リアルタイムは新曲として紹介された「レット・イット・ビー」からでした)、ジョン・レノンのことを全く知らなかったので興味深いお話でした。実の母と育ての母が姉妹なんて、なんて劇的なのでしょうか。また55年あたりからの風俗がきっちりと描かれていて面白い。

そしていかに当時の若者に対しエルヴィス・プレスリーが大きな衝撃と影響を及ぼしたかが分かる。最初にビートルズあり、ではなく最初にエルヴィスあり、が改めて実感したのだった。

エルヴィスのリアルタイムが「〜オン・ステージ」の封切りが間に合わなかったので、中学三年生のの時の正月映画「エルヴィス・オン・ツアー」から。「〜オン・ステージ」という邦題が(原題は「Elvis:thats the way it is」)が関係者に気に入られドキュメント2作目は「オン〜」になったという風なことを聞いた。今は無きテアトル東京というシネラマシアターで見たのだったが、その日同じクラスの女の子も来ていたらしく、翌日学校で『エルヴィス、好きなの?』と質問され、照れて逃げた甘酸っぱい思い出の映画である。

「オン・ステージ」はすぐに、これも今は無き新宿ロマン劇場のリヴァイバルで見て痺れましたね。洋楽オンチの私が「明日に架ける橋」、「スイゥート・キャロライン」という名曲をオリジナルを知る前に聞いたのはエルヴィスの歌声によってでした。その後になって「ビバ・ラスベガス」が映画も曲も大好きになってシングルレコードを買いましたな(そこでアン・マーグレットを知る!)。

77年8月16日の死亡記事はハッキリと覚えている。よくアメリカ人がケネディ暗殺のときあなたはどこにいましたか?なんて言うらしいが(日本人の場合は三島由紀夫がそれ)、いわゆる歴史上の人物の死をどこでどう聞いたか、ですね。

社会人となっていて、その日は仙台に出張していた朝の喫茶店の『河北新報』という地元の新聞記事を読んで知ったのであるが、しばし呆然として、その日あんまり仕事にはならなかった記憶がある。この時と同じショックを覚えたのが、石原裕次郎松田優作のふたりで、裕次郎東宝の人達が慌てたように「死んだって連絡が…」というのを何かのパーティ会場で聞いた。優作はテレ朝の(多分「トゥナイト」放送中)臨時ニュースで、そのアナウンサーの慌てぶりと自分のショックがダブって思い出される。

「ノーウエア〜」を見てエルヴィスの思い出したが、当時の若者たちはみんなエルヴィスになりたかったんだねぇとよくわかったし、エルヴァスを改めてすごい人だったんだな、と納得したのだった。