今の映画と比べてしまうのだが・・・

先日、映画を親しく語り合う友人宅に伺い、最近見た映画のことやら、70年代の映画のことやら、大型プロジェクターで映画を観たりと楽しい一時を過ごした。見せてもらった映画は東映の「明治侠客伝 三代目襲名」でした。なんとまぁ見事な映画でしょう。

際立つ加藤泰のローアングルの演出技術、的確な演技人たち、任侠映画の王道の脚本、さらに男女の情愛の美しさと激しさ、どの部分を切り取っても見事の一言。100分未満の上映時間でこれほどの物語を語るとは!

昔の映画は良かった、と安易に言いたくない。現代の映画にだって良く出来た作品はある。しかし「〜三代目襲名」のようにプログラムピクチャーの中に、こうした傑作(他にも多数ありますよね)が存在する事実に出会うと、やはりアベレージとしては昔の映画のほうが圧倒的に上と言わざるを得ない。

だから今の映画と比較してもしかたがないと分かってはいるが、「恋するナポリタン」とか「インシテミル」とか見てしまうと“これでいいのか日本映画?”という思いが強くなってしまう。前者はそもそも映画的演技とはなにか、その『上手くない』演技者を導く演出力の不足が決定的にマイナスポイントだ。

お話自体は黄泉がえり&入れ替わりの人生成就というよくあるパターンであり、その発想自体は否定するものではない。だからよけいにもっと上手く面白く出来るでしょうとなってしまうのだ。主演女優の食べ方が非常に美味しそうに撮れているのだけが救いとなってしまった。

インシテミル」も「ライアーゲーム」&「キューブ」&「カイジ」といったところのよく使われる物語の焼き直しで、登場人物たちがある空間に閉じ込められるパターンで、これまた設定自体は否定するものではないが、物語として弱いのが、彼等をそこに閉じ込めた側がまったく描かれていないところ。

ダイアン・レインが出た「ブラックサイト」やWWE映画の「監獄島」のように、いわゆる『殺人ショー』をネット画像として提供し、アクセス数UPというのと一緒で、その描写も一瞬出てくるが、それ以上に描かれることはなく全くの消化不良。誰がなんのために『殺人ショー』を彼等に対して行うのか、が描かれてこそ映画でしょ。

ましてや、北大路欣也の役が、かつてここで息子が殺されていたという設定であるのに、復讐するでもなく、単に最後まで生き残ったぞ!というだけで終わりとなるラストに唖然である。

こうした新作日本映画を見ると、今の映画の幼さばかりが目立ってしまうのだ。ちゃんと描かなきゃいけないことを描けず、画面で見せなくてもいい場面を、台詞も含めて描きすぎる(観客の想像力を信用せよ!)のが今の映画の一番悪いところだ。

つくり手たちはもっと観客を信用して、さらに往年の90分で描かれている名作群をもっともっと観るべきだ!