ジュネのイマジネーションを堪能

ひょんなことからガールズムービーの金字塔のような位置に立たされてしまった「アメリ」がどうにも好きになれない。なんか女性客層に媚びた感が拭いきれず、90年代はじめに「デリカテッセン」で鮮烈な登場をしたジャン・ピエール・ジュネのユニークなイマジネーションはもしかして、共同監督だったマルク・キャロの功績か?とすら思ってしまったのだ。

それとも「エイリアン4」などというかなり場違いな作品を手がけてしまった後遺症だったのか?「ロング・エンゲージメント」で再びオドレイ・トトゥを起用して大人の映画を撮ったものの今度はマトモ過ぎてイマジネーションの欠如とあいなった。

しかし、そうした苦難の時は無駄ではなかったのだ、と思えるほど新作の「ミック・マック」は素晴らしい!このイマジネーションを待っていたのだ!ジュネ単独監督として初めてその才能を堪能させてもらった。

父を地雷爆破で失った少年は大きくなってからビデオ屋の店員でボギーの「三つ数えろ」などを喜んで見ているシネフィル(と勝手にこちらが想像できる余地を残す設定)。しかし或る夜、銃の流れ弾に当たって弾丸はそのまま頭に入ったまま。さらに入院中に仕事をうしない孤独となる、という導入部をテンポの良い映像で見せ、決して台詞で多くを説明しないところが高感度大なのだ。

その青年に救いの手を差し伸べたのは、孤独な人間たちのコミ二ティ。そう大都会にひっそりと肩を寄せ合い暮らす人々の描写は「デリカテッセン」や「ロスト・チルドレン」をはっきり意識させ、ここに「アメリ」の呪縛から解かれたジュネがいたのであった。

そして、物語はこの青年と仲間が父を殺した地雷を作った、また自分の頭に入った弾を作って莫大な富を築いている武器商人2人に対し、まるで「スティング」のように、もの凄く“痛い目”に合わすという展開になる。こう書くとなんだかハードな復讐劇のように感じてしまうが、まったく違ってむしろファンタジックなイタズラの連発なのである。

この感覚は言葉では説明が難しく、まずは見てみないと分からないだろう。ユーモラスで、ファンタジックで、優しさに満ちおかしな連中がやがて愛おしくなるのだ。青年と体が柔らかい女の子の恋はなんと微笑ましい。そして最後は痛烈な戦争批判にもなっていてシニカルな面も描きながら、でも誰も血を流す描写はない(武器庫のすっごい爆発があるのに)。

こうして映像のイマジネーションで語っていきながら、描きすぎない、また言葉で説明しなくとも、ちゃんと感情表現になっているという描写は、それだけですでに『技』である。

このイマジネーションが有る限り、ジュネ監督とはなが〜い付き合いが出来そうである。それがなにより嬉しかった。