舛田利雄と池上金男と「昭和のいのち」

相変わらず、まだまだ映画についての勉強が足りないと日々痛感させられるが、特にそれほど作品を見ていない監督についてと(それ以上に)脚本家の方々が追いついてない。それを痛感させられたのが、阿佐ヶ谷ラピュタで上映されている『佐藤慶特集』での「昭和のいのち」を見たときだった。

監督の舛田利雄は70年代以降の作品はまだしも、日活時代はそれほど熱心には追いかけていないし、裕次郎作品として見ていて、たまたま監督が舛田さんだったという程度なのである。それ以上に「昭和のいのち」でビックリしたのは脚本が池上金男さんだったこと。実はこのところ池上さんの作品を見まくっていたのだ!それを意識しないで阿佐ヶ谷行ったら、また作品に遭遇してしまったという訳である。

見まくっていた作品とは「十三人の刺客東映版&東宝版(厳密には東宝版は原作となるかな?)と年末に封切られる「最後の忠臣蔵」(この作品自体については公開の頃書きたい)だ。

脚本家としての名前は池上金男、そして小説家としての名前は池宮彰一郎。この事ですら最近ようやく認識したのだから不勉強もはなはだしい。最初の「十三人〜」で覚えろよ!って感じだよな。池宮さんとして名前を認識したのが「四十七人の刺客」が公開された時の原作者としてだった。でも映画自体は見逃しているという腹立たしさだ。

という訳で池上さんの脚本は時代劇ばかりかと思いきや、この「昭和のいのち」は昭和初期の戦争に突入するまでの時期の人間ドラマなので、こういう脚本も書いていたのか、となる。まさに池上&舛田版「人生劇場」(舛田監督はこの4年前に日活での「人生劇場」も監督しているが)というか「人生劇場」アザーサイド版だ。青成瓢吉と宮川を足すと主演の裕次郎になろうか?辰巳柳太郎が演じる親分さんは当然のように吉良常を想像させる。

革命運動に失敗した青年がテキヤの一家を構えるまでの話と軍部の政治介入はいかに、という話の両面からの激動の昭和史だが、見所としてはやはり浅丘ルリ子浜美枝という二人の女優。特に東宝から参加の浜さんは東宝側では絶対やらないだろうというような親分さんの一人娘役。この娘と一家を持とうと決心する裕次郎であるが、その前に親分さんを殺ったやくざ元へ一人殴りこみに行く場面で映画は終わる。このラストシーン、裕次郎のカット、浜さんのカット、軍の行進をする高橋英樹のカットの入れ替わりで、「ウエストサイド物語」の決闘前のシーンの影響が見られた。

68年なので、すでに日活もきつかったであろう時代だが、よくもこの大作を作ったよ感心。舛田監督も、このあと東映を中心として大作映画を監督していくわけだが、監督をもっとよく知るには(著者から頂いたのにまだちゃんと読んでいない)佐藤利明氏による「映画監督舛田利雄」を読まねばなるまい。