ジャッキー・チェンと苦手なアジア映画

1973年の暮れ、1本の香港映画が公開された。というと、この映画ファンに“アメリカ映画です!”と怒られるが、とにかくその時には英語が台詞の香港映画としか思えなかった。映画のタイトルは「燃えよドラゴン」。

それ以前は、アラン・ドロンカトリーヌ・ドヌーヴ主演などのフランス映画が少々とあとはアメリカ映画一辺倒であったから、香港であろうと、中国であろうと、韓国や台湾であろうとアジア圏の映画は見たことがなかったかもしれない。

よって周りの(高校一年!!)悪友たちが夢中になって「アチャー!!」と言って体育マットに蹴りを入れブルース・リーを気取っていても『ふ〜ん、そういうアクション映画なんだ』と言いながら見る気が全く起きなかった。最も映画を見ることを競い合っていた悪友が(夏休み40日で40本見られるか、だった)再三誘って来て、ようやく「燃えよ〜」を見たのは忘れもしない74年の5月5日のこどもの日。旧新宿ピカデリーでした。当時の映画興行は大ヒットとなれば半年の興行だったという証拠ですな。

では、その悪友(そいつは4,5回目だったか?)のようにブルース・リーに惚れまくって以後カンフー映画に傾倒していったかといえば、そんなことはなく、ブルース・リーという大スターを確認したに過ぎなかった。この「燃えよ〜」の大ヒットを受け、東宝東和を中心とした配給会社が続々と香港映画を封切ることになるが、やはり食指は動かなかった。

すると79年の夏に「ドランクモンキー酔拳」というこれまた珍妙なアクション映画がやってきた(と言う印象しかない)。主演はジャッキー・チェンという頭がボサボサの青年。これまたスルーである。この後ジャッキーが「プロジェクトA」の大ヒットで若い映画ファンの心をつかんで大スターの地位を確立したのは映画史的事実ですね。

ところがアクションとしての見せ場は凄くても、香港映画のコメディ要素がまったく受けつけられず、「MrBoo」シリーズに最もよく現れているアジア人としての自虐ネタのようなコメディに辟易してしまい、すべて敬遠してしまうことになる。アジア映画は、中国映画のチャン・イーモウ作品や「芙蓉鎮」などを見ていたに過ぎない状態だった。

ところがジャッキーの映画だけは「ポリス・ストーリー2九龍の眼クーロンズ・アイ」や「ミラクル奇蹟」あたりからグッとよくなり、ほぼこのあたりからジャッキー映画に(ようやく」)夢中になる。こうなると彼のアクションとコメディのバランスの凄さとか、心根の優しき(笑顔に現れる)人間像とかに惹かれていく。ハリウッドでの成功も当然と言うわけだ。

もうすぐ公開の「ベストキッド」は彼のハリウッドでの最大の成功作だろう。アクションの見せ場は主人公の少年を助ける場面のみだが、妻と子どもを失った男のぬぐうことの出来ない哀しみを演ずるジャッキーは立派なアクターだ。個人的にはこれより前の公開作「ダブル・ミッション」がお気に入り。

原題名を直訳すれば「隣のスパイさん」。CIAエージェントのジャッキーはもう引退して、隣に住む3人の子持ちの女性と結婚したいと願う心優しい男。しかし最後の事件でその1家が巻き込まれ、子どもを預かることになったジャッキーの事件と子守が面白く描かれる。最初3人の子どもたちに嫌われ、ママと交際する変な中国人としか思われていないジャッキーが3人をちょいと躾を秘密兵器でしてしまうあたりの可笑しさったらない。

「ベスト〜」でもそうだが、子どもを相手にした時のジャッキーの魅力は誰にも負けないんじゃないかな?これではアジアだけに収まることなく世界のスーパースターになれるわけである。

とは言え、他の香港映画も見られるようになったかと言えば、「コネクテッド」あたりのサスペンス映画に紛れこむ笑いの要素と必要ないんじゃ、と思わすアクションシーンに『なんだかなぁ』となってしまう。韓国ともなると『これは民族性なのか?』と思って踏み込めないとしか思えない部分もある。「チェイサー」の警察はアホとしか思えぬ描き方、殺されるべきではない登場人物をころしてしまう(アメリカ映画ではありえない)倫理観の違いなど、ちょっと受け入れがたい。

近日公開の「TSUNAMI」も大仕掛けなCGでの大津波シーンの他は港町の人々の家族のお話で、なんでソル・ギョングの主人公はなんでそんなに情けなく描くの?とか、街のおばあさんはあんなにうるさいの?とかになってしまって話自体はホントにチッチャいのだ。アメリカ映画だったらこの津波の発生に対し、政府は?自治体は?科学者は?とかが主体ななるだろうが、そこは「大地震」でもそうだったようにディザスターは来るので、その災害にある人々の日常のみでOKという出来だ。悪くはないのだがなぁ〜、やはり苦手というしかないのだろうか?決して食わず嫌いではないのになぁ・・・。